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金環日食用品販売でマルミは三国志の蜀のようにフィルターを売り抜けた

こちらもよくやっているが、巷の経営戦略系の雑誌で歴史上の事実と企業経営を結びつけるケースがある。あれは、妙に納得できないものが多い。基本は、武力を主とする戦国時代と様々な意味での資本を主とする企業間同士の争いがイコールとは思えないからだ。特に、主人と家来の関係は、今の社長と社員の関係とはイコールとならないだろうし・・。

 だが、それでもやはり歴史的事実をあてはめてしまう。その好例を最近観てしまった。以前にも、この欄で触れた金環日食を巡る写真用品メーカー間のやりとりである。中国の三国志を連想したのだ。

 まず、金環日食に関する需要を大いに盛り上げたのは、ケンコー・トキナーである。ここは、もはや写真用品分野では王者である。三国志で言えば間違いなく、魏の国だろう。同社では、フィルターから日食観察用サングラスあるいは、スマホ用レンズセットまで幅広く展開した。もちろん、持ち前の提案力から売り場での集客力は群を抜いていたのである。

 itemImg_fil01.jpgが、実は、この陰に隠れていたものの、専業のフィルターメーカーであるマルミ光機の戦略は水際立っていた。まず、ケンコー・トキナーが売り場を盛り上げたあたりで、マルミの日食撮影用フィルター(写真)が、かなり安い価格で提供されていたのが目立ち始めたのだ。客としては、売り場に目をひかれ、なるほどと購入しようとする。だが、財布を見ると、ちょっと痛い。そこでふと、目を転じると、マルミの安いのがあるのではないかというのだ。性能も、目に見えて変わるわけではない。それに、ケンコー・トキナーほどではないものの、マルミの名前は撮影を趣味とする人なら知っており安心だ。

 しかもだ。マルミの凄いところは、日食撮影のノウハウを書いた冊子を製品にいち早く同梱。popでは撮影ノウハウの内容に徹した。これは、客も買うだろう。その後、ケンコー・トキナーがノウハウを書いた、かなり有名になった冊子を提供して取り組んできたのだが、そのころにはマルミは逆に、日食イベント自体を盛り上げるような提案内容を売り場などに移行して訴求した。王者とは同じ土俵で争うのはうまく回避したのである。

 結果、同社が多すぎず少なすぎずと踏んだ三万枚の出荷分を完売した。要はケンコー・トキナーとしてはフィルターだけ売ればいいというものではない。前述の日食グラスも売らないといけないし、スマホ用レンズセットもあるだろう。それらに、厚く広く手をつけて売り上げを作る中、専業メーカーが一点突破で売り切ったという構図だ。

 売上を作るとともに、マルミは自社ブランドの名前をかなり一般にも浸透させたのである。その水際だった動きは、小勢力ながら抜群の才で国を樹立した三国志の蜀のようだ。もちろん、誰が諸葛亮孔明だったかは明らかではないが・・。

 ちなみに、残りの呉の国に相当するのは、マイペースで独自の道を歩んだトミーテックだろうか。ここは、天体専門メーカーとして、当然ながら今回の金環日食を一大イベントとして捉えていたものの、その後の金星の日面通過などトータルで天体ショー需要を捉えており、自社ブランドのボーグの鏡筒と自社フィルターのセットなどを販売。それでも、カメラルートでの販売がかなり伸びたということだ。ここの担当者は涼しい雰囲気で「マルミさん、ケンコー・トキナーさんが売れて市場で品薄になってきたから、そろそろ当社のも動くかな」といった感じで冷静に分析していた。風貌を見ていたら、呉の参謀の魯粛を連想したのだ。あと、日食グラスを出したビクセンも、同様に呉の国の一勢力だろう。

 いずれにしても、今回の金環日食の戦は、三国志を連想させる市場の争いというのが感想である。今まで書いたように、魏、呉、蜀が入り乱れていたと思う。その中で、個人的に印象に残ったのは、蜀の動きだ。

 まさに、マルミ光機は金環日食の戦いで三国志の蜀を思わせる動きであった、のだ。

  しかし、これも前の欄にも書いたが、この前に首都圏で金環日食が視られたのは、1839年の天保時代で遠山の金さんが現役の北町奉行として活躍していた時である。どこかの写真屋が『金さんも視た金環日食』といって、商材を販売すれば受けたような気がしていたのだが・・。やはり無理だったのか。

写真屋さんの好きを仕事にさせたピクトリコのデジタルネガフィルム

 仕事とはなんだろうか。連休中に帰省先で、このテーマについて考えてみた。というのは、友人と飲んだ際に議論になったからだ。

 ある人間は、自己実現のためのものだという。また、別の者は単純にお金を稼ぐ手段であると主張する。その飲み会の後で、本屋などに行ってビジネス書のコーナーに行くと「ワクワクすることを仕事にしよう」とか「迷ったら、やりたいか、やりたくないかで決めよう」などと書かれている本が多いことに改めて気づいた。もちろん、好きなことでお金が稼げたら理想である。だが、世の中は好きなことと得意なことは違う、という厳然たる事実がある。特に、才能の方向性は、ほとんど遺伝で決まっていると言われているし、幸運にも、その方向性で正しい道に進んだとしても、一流になれるかなれないかというのは、生まれつきの才能が影響する、と言われている。

TPS100N-LTR-20_s (2) (625x800).jpg 特に、音楽やスポーツなどの分野に道をみつけたら大変である。この分野で一応お金を稼ぐことができるのは、信じられないレベルの才能がいる。その辺のカラオケ大会で優勝ししたり、草野球の四番バッタークラスではダメなのである。仮に、プロ野球の万年下位の打順の選手と言ったところで、地元では天才と称されていたはずなのだ。その点、数学や言語能力、論理的思考能力の才能であれば、天才とまでは行かないレベルでも食べてはいける。だが、やはり弁護士などのクラスの論理的思考能力の場合は、相当に高いレベルとなるだろう。やはり悲しいことに遺伝の要素が強いと思う。

 だが、こういう現状でもいや、このようにシビアな現実だからこそ、人はやはり好きなことをやるべきではないだろうか。単純に、仕事を金を稼ぐ手段のみととらえていたら、正直、一日の大半の時間をそんなことに費やすのは人間にとって耐えられないものになるはずだからだ。人の精神は、そんなに割り切れるほど、単純にできてはいない。

 それに、好きなことをやると必ず活路が開けるはずだ。その分野を仕事にしようと覚悟を決めて精進したら、その中では頭一つだけは抜けられる可能性が高い。それは、確かに天才として世間でいう大成功を収めるのは無理だろう。何度も指摘するように、それは一部の人間だ。だが、少なくとも何とか食べていけるレベルくらいなら可能だろうし、もし無理で、別に食べるための仕事をしていたとしても、十分にその人間は日々を耐えられるし、幸福感を持って働けるのではないだろうか。やはり、ともかく好きなことをすべきなのだ。

 その点では、ピクトリコの「デジタルネガフィルムTPS100」(写真はパッケージ)は写真用品の中でも、好きなことをしつつも、きわめてシビアな現実にも対応する、実利的な商材である。要は、デジタルで撮影した画像をモノクロ印画紙にプリントするもので、もともと古くからの写真店がこだわっていた暗室でのモノクロプリントを、現在のデジタルビジネスの世界で商材として提供することを可能にしたのだ。

 まさに、写真屋さんのこだわりを現代ビジネスに復活させたピクトリコのデジタルネガフィルム、なのだ。

 しかし、やはり好きの要素がないと何事もダメなんだろうなぁ。。こんな話を読んだ。一時期、米国でMBA取得のエリートビジネスマンらがこぞって起業したが、結局失敗している人間が多い。もちろん、成功している人もいるので、あるジャーナリストがそれぞれの人たちにインタビューしたところ、成功組の多くが「好きな分野で起業した」と回答したのに対して、失敗組の多くが「儲かる分野に目を付けて起業した」と回答したという。好きこそものの上手なれだなぁ・・。

金環日食は常にしぶとくアピールする写真用品メーカーそのものだ

人間というのは、非常にしぶといものだと思う。いや、人間に進化するまえの霊長類のときからだろう。だいたい、人が進化できたのだって、気象条件の変化により地球に砂漠化が進んだ際に、樹上生活に残れなかった奴らがしぶとく生き残ったためだ。いわゆる霊長類の落ちこぼれ動物が、平原に降り立ち徐々に二本脚歩行をして道具を作り、それを使いこなす頭脳を発達させたのだ。その時代の霊長類の優等生たちは、さっさと森林の奥深くに進んで、ゴリラなどになった。

 そのどんな状況でも工夫して生き延びられるというのは、進化した今の人間たちの貴重な才能だろう。その才能があるかないかで、人もあるいは集団も進化するしないが変わるのだ。

 今、業界で大きな需要となっているのが金環日食だ。首都圏でこの自然現象がみられるのは、実に173年ぶりとなる。それだけあって、カメラ撮影時のフィルターや太陽観察用グラス写真はケンコー・トキナー製のもの)など様々なものも提案されている。

 4961607403266_300_300x300.jpgちなみに、その前回に首都圏で金環日食が視られた173年前、すなわち1839年といえば天保時代ということになる。この年の特に気になったトピックスが「蛮社の獄」である。これは、当時比較的抵抗感なく受け入れられていた医学の分野以外でも、蘭学を学ぼうという新進気鋭の学者たちが時の老中・水野忠邦の意を受けた町奉行の鳥居甲斐守によって、一斉に弾圧され獄につながれた事件である。

 この逮捕者の中で、しぶとく逃げ回ったのが高野長英である。彼は、途中で自らの顔を焼くなどして、ともかく逃げ回った。だが、何も高野長英個人のしぶとさが目立つのではない。この蛮社の獄自体が、(その後の時代の幕開けとなる)海外からは何があろうとしぶとく知識が流入するという事実をを明らかにしたのである。

  いくら鎖国しているとはいえ、やはり輝く知識というのはその中でも勢いを抑えきれずに表面化してくる。そういった叡智のしぶとさ、人間のあくなき向学心のしぶとさを表した歴史的事件なのではないだろうか。

 これは、あたかも、太陽をいくら黒い影が覆うとも、光が出よう出ようと周りで輝く金環日食そのものも連想させる。さらに、あらゆる状況の中でも、常に消費者に役に立つものを提案していこうという写真用品メーカーの心意気も感じないだろうか。

 まさに、金環日食はコツコツと消費者に向き合う写真用品メーカーを連想させる、のだ。

 ところで、しぶとさといえば、今回の記事中に出てきた、鳥居甲斐守にもいえる。彼は、その後にボスである水野忠邦が失脚しても、しぶとく政権に居続けた。だが、さすがにそれも続かずに、その手法が原因で処罰が下され他家へお預けの立場にはなった。しかしながら、そこでも悪びれずことなく居続け、あまり知られていないが、明治の世まで生き延びている。預かった家のほうが、明治維新のときには『もう徳川時代ではないので、頼むから退去してほしい』と言ったが、それでも『正式な幕府からの許可命令がない』と言い続け、もう無い幕府から強引にそれを取り付けるまで居続けていたようだ。彼は、その後に外に出た際に漏らした。「私の方針通りに異学を禁じていれば、幕府は潰れなかっただろう」と。。その自分に対する凄まじいまでのしぶとさには、ある種の恐怖を感じるほどだ。ちなみに、彼は在任中に、名前の耀蔵と甲斐守で『妖怪(ようかい)』と仇名をつけられていた。

一眼用ピンホールレンズからトーキョートレイディングの大望が見える

一芸に秀でるものは諸芸に通ず、というのは以前から言われていることだ。将棋の羽生二冠だって、チェスで世界チャンピオンと引き分けるくらいの実力を発揮した。宮本武蔵だって、絵では国宝級の物を残したのである。これは実は、ものを極めることというのは、分野は違っても原理が同じということかもしれない。

 そういえば、こんなエピソードを思い出した。ある日、福澤諭吉が適塾で蘭語をそれこそ、塾頭をつとめるほどに精通したのち、江戸に出て当時、異人街として知られていた横浜に意気揚々と出かけていった。その際に、聞きなれない言葉を公用語のような形で人々が話をしていたので、非常に驚いた。即ち、英語の流通である。さらに落胆したのは、せっかく学んだオランダ語が全く役に立たないことであった。

 だが、さすがに諭吉先生だ。頭を切り替えて、うまく講師を見つけると英語を猛烈に勉強しだした。だが、彼によると、英語をやりはじめて、ふと思ったそうだ。意外に、蘭語と似通ったところがあり、覚えるのがスムーズであったと。かくて、彼は英語習得にも驚異的な集中力を見せて、それこそ英学塾を起こすほどにまでになった。もちろん、その塾は言わずと知れた慶応義塾だ。まぁ、言語の相似性に築くあたり、さすがに俊英の彼らしいが、ともかく一芸を極めると他もスムーズにできるし、かなりの成果をあげるということだろう。

  ここで慶応義塾の話が出たので書かさせていただくが、この一芸から他にも手を広げて、トータルで力を付けた形のモデルに、明治時代の様々な『学校』があると思う。周知のように、総合高等教育機関といえば、当初は帝国大学というのが東京あたりあるだけである。で、あとはどうかというと、ほとんどが今の専門学校であった。特に目立ったのが法律学校で、英吉利法律学校から和仏法律学校、日本法律学校など多士済々であった。さらに、英語学校なども多く、ヘボン塾や正則英語学校や津田塾英語学校、それと経済学がメインの感じではあったが、慶応義塾である。ちなみに、名前からしての東京専門学校や、哲学館という哲学メインという稀有の存在の学校もあったのだ。

 その後、これらの学校は周知のとおりに、今の大学という存在になっていった。そのさいに、それぞれの得意分野を持つそれらの学校は当該学問教育で培っていたノウハウやシステムを他の学問研究と教育システムにも応用。これが意外にスムーズにいって、今では総合大学となっている。一つのやり方を極めたら、意外にうまく他のやり方にも応用できるということ。逆に、それらを活かして、自分をより強く大きくできるのだ。

 Canon_EF_wide_v (2).jpg実は、写真用品メーカーもおなじ道を辿り大きく成長していることもある。目立つところでは、フィルターを極めたのち、様々な商材を扱い今では写真映像用品の総合メーカーとなったケンコー・トキナーだろう。だが、最もおもしろいと思うのは、今、急成長している新興のトーキョートレーディング社だろう。ここは、当初はストラップのような少しお洒落系の用品を市場に提案していたのだが、いつの間にかバッグを出して、さらにはキッズデジカメ、さらに打って変わって本格的な商材であるデジタル一眼用のピンホールレンズ(写真)を発売したのだ。かなり幅広い展開だが、同社の執行部は伝統ある駒村の元スタッフもいて、一芸に秀でていたために、それらの知識や営業ノウハウを駆使して次々に実績をあげていったようだ。同社のピンホールレンズをみると、その小さなホール部からトーキョートレーディングの大きな今後への野望が見えるのである。

 まさに、トーキョートレイディングのピンホールレンズから大きな野望が見える、のだ。

 しかし、宮本武蔵だけどさ。剣と絵画は別々の人間がいたという説があるんだよなぁ。提唱していたのは、あの大家の故樋口清之先生。細川に仕えた剣豪の新免武蔵と放浪の画家・宮本二天を足したのが宮本武蔵だという考え方である。今に残る肖像画は、宮本二天が立ち寄った熊本で、そこに剣術指南として仕官していた新免武蔵を描いたというのだ。なにか、当時は複数名、武蔵という剣客がいたという話もあるし・・。よくわからないなぁ。

水の武将・小西行長を連想させる駒村商会のアイデア商品も渋い

古代中国の自然哲学に五行説というのがあった。要は万物は、火、水、木、金、土で成り立っていると考える思想で、かなり支持された。

 もちろん、これは現代の我々から見るとどうかということになるが、意外に真の部分があるような気もする。特に、人間の資質というのが、これに分類されるように感じる。実はちょうど、日本の武将に関して本を読んでいたのだが、これがぴったりという感じだ。特に、秀吉から家康に時代が移行するころに現れた武将達は、大きな戦が複数回あっただけに、行動パターンは符号する。

 例えば、福島正則という武将だ。彼は、私心なき忠臣として知られる。一説では、もともとは桶屋の倅らしい。職人である。そのせいか、妙に律儀であり頑固であり、ある意味儲けを考えずに自分の仕事を全力でこなす。いくら、飲みくらべに負けたからといって、他家の家臣に家宝の槍をくれてやるというのも、ある種の心意気であり筋目を通す頑固な律儀さだ。彼は、徳川の世になり家康に一度臣従を誓うと、理不尽なことであろうときっちりと言うことを聞くし、嫌がらせで碌を削られても不満を言わずに、また自分から一部返上したりしている。もっとも、ストレスは溜まっていただろう。屈辱のあまり、最後は自害したとも言われている。頑固な職人の生き方を見るようであり、その根本には、冒頭の五行説でいうと土の性質の様な気がする。

  ica_33 (2).jpgさらに盟友の加藤清正に至っては、遠藤周作先生も指摘しているように、土豪の倅だったようで、こちらも常に堅く、土という感じだ。ちなみに、土の性質のタイプは堅実であり強そうだが、流動的で不可解なものを相手にする政治というものには向かない。加藤清正の政治下手が典型的だ。彼自身は満足しただろう。が、豊臣秀頼と家康の対面させたのは、それがかえって家康に秀頼の意外にしっかりとした人間性を知らしめてしまい、取り潰しへの意欲を湧かせてしまった。志はわかるけど、このタイミングでまずいだろう・・という感じだ。何か、不器用なのである。

 もっとも、こういう時代の武将というのは、土の性質が向くのかもしれない。特に、徳川が天下を掌握するまでは流動的であり、必ず戦が必要となるからだ。どちらかというと、敬遠されるのが政治や外交に長けた水の性質の持ち主ではないか。

 その代表格が、やはり小西行長だろう。彼は、なんと堺の商人の出であり、常に収支バランスを考えて政治を行っていたような気がする。戦も小器用にこなし、水軍の指揮に関してはかなりのものであった。特に、朝鮮に出兵した文禄の役では、戦いつつも常に講和の道を模索していたようで、なかなかの外交手腕もあった。まさに、商人魂を持った武士である。彼は加藤清正とは対立していたようだが、確かに土と水では合わないだろう。領地も隣接していたし利害関係もあっただろうし・・。何となくわかる。

 小西行長は結局、西軍についたために最後はキリシタンということで、刑死の道を選んだ。だが、彼が生き延びたら、次の徳川安定期もうまく動き、何より理財につよいところから、家康からもかなり重宝されたことだろう。残念なことだし、現代の企業のトップとしてなら、申し分ない人物だった気がする。

 で、この水という性質を写真用品のメーカーにあてはめると、どうも駒村商会を連想する。ここは、凝ったハイレベルなプロ機材を扱う一方で、時代に合わせて多様なルートで、雑貨やスマホ用品を扱う。だが、それらの商材は本格的なカメラを連想するようなものばかりであり、ポリシーを感じる。まさに、商人としての流れを汲んだ武士のような企業である。特に、スマホ用ではアドプラスという熊本のメーカーが開発した、スマホが本物のカメラそっくりに見えるケースを販売したりする(写真はケースを収納した際の前から見た図)。なにやら、ライカも思わせる。本格派の外見だ。さらに、ミニカメラに関しては、ちゃちなものではなく金メッキの本格的な高級なタイプも販売している。雑貨やアイデア商品といっても手を抜かずに本格派の形の物を売るのだ。ただし、それをカメラ店だけではなく百貨店や雑貨店など柔軟なルート展開をするのである。ハイレベルな商材はインタービーにも出すようなコマーシャルフォト用の商材である。現実に即しつつ、軽やかにというところか。

 まさに、水の武将・小西行長を思わせる駒村商会のスタイルは渋い のだ。

  しかし、駒村商会は社長をはじめスタッフのファッションもかなりセンスがあるというイメージだよなぁ。。何か、お洒落な工夫がなされている。流石だ。もっとも・・社屋が地味だ。成程、お洒落な人間が昔ながらの堅い企業を運営しているということか。やはり、小西行長だなぁ・・。

  

大地の恵みとユーエヌのレンズキャップには深く感謝

 あると当たり前だと思っていて特に意識しないが、無くなったりすると存在の大きさを再認識するというものは結構ある。

 と、こう書くと男性は、配偶者だとかパートナーだとか思うかもしれない。もちろん、それもあるだろう。だいたい、男性と言うのは至極単純な発想をするもので、一度結婚するなり親密になれば常にそこにあるものと考えて、大切さに気付かなくなる。それが、何かがあり、居なくなったりあるいは、距離を置かれたりすると非常に慌てふためく。だが、もともとは他人なのだから、そのための一定の礼儀のようなものは大切なのだ。それを忘れてしまっている。そうでない恋人と呼ばれる時期には、あれほど気を遣っていたのにだ。その点、女性のほうがシビアに人というのを見ているのかもしれない。あっ、別に過去を思い出しつつ語っているわけではないので。念のために。

 それと当然ながら親の存在もある。いくら、会うたびにこき使われてもだ! あとは、水と空気と大地の恵みというのもある。さらに、意外なところでは、石油ストーブに灯油を入れるさいの灯油ポンプというのもあるだろう。正月に実家に帰った際に、これが破損していたので灯油まみれになる羽目になったのだ。全く許せん。いや、まぁ仕方ないが。。その後にスーパーで、この灯油ポンプを見るたびにしばらく頭を下げて存在に感謝した。

 3.jpgもっと言えば、サラリーマンなら会社の名刺というのもあるだろう。普段何気なく使っているが、これ自体と言うよりも、この肩書が無いと意外な目に合う。よく、著名企業のサラリーマンが脱サラし起業して失敗するパターンが、名刺を持ってまわった時の人脈がそのまま商売に活かせると考えて動くことだ。あれだけ在職中は愛想の良かった人たちが冷淡になってしまうのである。まぁ、だがこれは、考えてみれば、ある意味当たり前の反応なのだ。仕事でメリットを与える立場から、いただく立場になったのだから。これに当人が気付いてなかったりする。また、会社の価値=自分の価値と勘違いしていたから、ここで拒絶されることで、自分の価値そのものが否定されたような気分になり、ひどく落ち込んでしまった人も何人か見ている。もっとも、落ち込む必要はないのだ。逆に会社なり社会の一定の役割での価値が自身の一部だっただけであり、本来の自分の価値は別物のはずだ。これに気づいて、自分力を改めて発揮しようと考えるか、落ち込んだままでいるかは、まぁその人間次第ということになるだろうが。。

 1.jpgところで写真用品では、このような、あって当たり前だが実は偉大な存在のものと言えば、やはりレンズキャップだろう。普段意識もしていない。一度外すと、往々にしてどこにしまったかわからなくなってしまうのだ。もっとも、この認知の薄さの原因は、おそらくレンズキャップのデザインにも問題があるのだろう。表面の色もブラックで、せいぜいブランドネームが入っている程度だ。

  そういえば、ハクバの新ブランドのバッグには、このレンズキャップを入れるスペースがあったが、これには感心したのも覚えている。

 もっとも理想は取り外さなくていいことだろう。カメラを起動するとともにキャップも自動で開閉するようなタイプならなおいい。そういう意味で、ユーエヌが発売している自動開閉レンズキャップ(写真)は実にそのものずばりの要望に応えた製品である。当然ながら取り外しをせずに常時接続していられる。失くす心配もないのだ。ちなみに、ユーエヌという会社は実に面白い会社で、このレンズキャップに以前から注力していた。和柄のデザインが施されたものまで出している。この発想はいい。カメラを使う人間にとって、感謝すべき企業なのだと思う。

 まさに、 大地の恵みとユーエヌのレンズキャップには深く感謝する のである。

  しかし・・くどいようだが灯油ポンプである。あの灯油ポンプのどこかが破損しても使い物にならないのだ。特に、重要なのは先端部のキャップのようなものだ。本体が破損してなくても、あのキャップがなくなるともういけない。キャップはどこの世界でも重要なのだ、と寒空の中で、つくづく思った正月であった。
 

スリックの三二プロシリーズはまさに小さな巨人だ

  19世紀の後半に活躍したスコットランドの作家の著作には吉田松陰が取り上げられている。ほぼ、同時代の東洋の一小国の若者の行動に、彼はかなり感銘を受けたようである。即ち、あの時代にあって全く異界であった外国の文物を見ようと外国船に乗せてくれと言った勇気に感動したのだ。

 500g1976-thumb-400x654-980.jpgこの松陰の行動の凄さは、今の時代の我々から見るとどうしても理解できないと思う。国禁を犯してまで外国に単身行こうというのは信じられない覚悟があったはずだ。遠い英国の同時代の作家の心の琴線に触れたとしても無理はないだろう。

 だが、彼に限らずに、この時代とそれに続く明治のころには、外国で異彩を放ち、堂々と周囲の驚嘆と尊敬を集めた日本人は複数存在していた。ドイツでは、ある留学生が、凶器をふるい乱暴な振舞をする現地の大男にステッキで立ち向かい、籠手を打ち取り押さえ称賛を浴びたという。そういった海外の中でも光る日本人学生たちは、その国を担った猛努力の姿勢を学問でも当然ながら発揮して、驚異的な成果を上げた。当時のドイツや英国の大学の成績上位者には必ず日本人の名前があったとも伝えられている。

  その典型的な一人が本多静六だろう。苦学して官立の山林学校(現在の東大農学部)を卒業し、ドイツに留学。ターラント山林学校からミュンヘン大学に転じて、四年の課程をなんと二年で終えて、ドクトルの称号を得ている。彼は、同級生のドイツ人からも「ホンダくらい勉強する奴は世界に二人といない」とまで言われた。その本多は口頭試問の前には、なんと日本から持ち込んだ切腹用の短刀を用意。「把握できなければ腹を切る」の覚悟で実際に刀を傍らにおいて、臨んだ。さらに、最後の演説討論の前には近くの滝の前で、その滝の音に負けないほどの声で練習。近隣の現地の農夫らからは気の狂った外国人と思われたようだ。彼の栄誉は現地では帰国後も称えられていたという。本多は帰国後は正式に大学となった東大の教授に迎えられて、日比谷公園設計を担当し、公園の父とまで言われるようになった。

 しかしながら、この本多などはまだまだ、ほんの一例に過ぎない。世界で光を放った若者たちは多かったのである。もっとも、これらの海外の大学での地位は、今では中国人で占められている。何となく、さびしい限りだ。

 DSC00388 (2).jpgところで、用品にも外国ブランド全盛の時代に海外でキラリと輝いた製品が存在した。当時、三脚のスリックの創業者が開発した500G(写真)というミニ三脚がある。ミニサイズながら、きわめてハイレベルな品質を誇った。その製品の良さとユニークさは、海外でも注目を集めた。特に、中国ではなんと、この三脚を模倣することで独自の商材を現地企業が開発していったという。今でいう中国のコピー的オリジナル商品の嚆矢になった三脚であったようだ。三脚と言えば、昭和50年代に負けじと存在感を放った三脚であった。その遺伝子を受け継ぐのが、1月に発売したミニプロ6(写真下)である。こちらも、様々な使い方ができるうえに、本格派のデジタル一眼が搭載できるミニ三脚ということで、幅広い世代に人気である。小さいながら確実な存在感がある。その輝きは巨大なのだ。

  つまり、小さな巨人たるスリックの三二プロシリーズ、なのだ。

 しかし、変な言い方をするが、人間は本当に昔に比べて小粒になったと思う。もっとも、今の若い世代は柔軟な起業家が多く期待はできる。問題は、我々ミドル世代だよなぁ。。東京地検のように、お互いが組織内部での競争で村木事件のようなとんでもないことをしでかす。中小企業でも、部下の顧客を上司が平然と自分の管理下に置くという情けないことをする。内部競争は組織を弱体化させるという内容のブログも読んだが、まさにその通りだろう。どうせ、世の中不透明で今はそれほど明るい希望も持てない。それなら、内部でウジウジしてないで、突き抜けたほうがいいのだろう。ミドルよ突き抜けてはじけよう!

 

イケメン俳優の雰囲気で売上伸ばす韓国ブランド用品

  しかし、中年女性というのは何故あんなにパワーがあるのか・・。先日、新大久保で知人と飲んだのだが、あのあたりはもはや熟女の歩行者天国と化していた。横一列に並んで歩き、夕刻ともなると酒場で集会をする。いや、聞くと女子会、というらしい。どうも、こちらの頭が古いのか、女子とか男子とかいう言葉はせいぜい高校生くらいまでの概念ではなかっただろうか。まぁ、どうでもいいことだが・・。それにしても、彼女らは良く食べてよく飲む。こちらなど、深酒をした翌日は頭痛と後悔で死にたくなるのだが、彼女らはそんなことはないのだろう。

 まぁ、それはいい。その熟女の方々が、こんな新宿の隣のやや怪しいエリアに集うのは、いわずと知れた韓流への思い入れである。ちょうど、原宿を歩く女子高校生などがアイドルのグッズなどを買うように、彼女らは韓流俳優らのグッズを見て、触って購入する。

 そんな状況を見ながら考えたのが、韓流の魅力についてだ。何故、日本のイケメンではなく韓流のイケメンに行くのか。いろいろな角度から分析してみたのだが、要は容姿が綺麗であるが、加えて礼儀正しいところか。日本のイケメンのように、時に暴言を吐いて失敗したりしない。要は、貴公子的な雰囲気を醸し出しているのだろう。さらに、この貴公子たちはお高く止まっていない。一人一人のファンを時には、『家族』と称し、ファンの集いではHaguするなどして濃密なコミュニケーションを図る。また、年上の人々を敬う。彼らがテレビ番組などに登場しても、一生懸命に丁寧な日本語の敬語で話そうとする。見てる方も危なげないのである。

  もっとも、このような気さくな貴公子としての雰囲気は、何もイケメンの性質だけのことではない。写真用品にCSB-1855-03_l.jpgも表れているのである。例えば、ブラックコーナーというブランドのカメラを包むための牛革のクロスがある。これなど、単に四角だけではなく、四隅のコーナーがカットされているのも憎い配慮だ。包んだ後で縛るために紐も装備していた。包みやすいように考慮しているのである。もっとも、包むタイプのカメラ用クッションは別の用品メーカーからも発売されている。が、牛革で高級な感じではない。価格は、確かにブラックコーナーのもののほうが高いが、それは仕方ないだろう。六本木あたりでモデル並みのキャバクラ嬢を指名したら、それは高くなるに決まっている。私の実家があるところだが、千葉あたりのスナックで地元の熟女を呼ぶのと、それはサービス料にも差がつくのが当然だ。

 このブラックコーナーのクッションなどは、きらびやかな貴公子としての雰囲気があるが、ほかにシエスタのバッグ(写真)などは、チェック柄でお洒落でかわいい感じながら、アクリル・合皮素材からできており結構、本格的なタウンユースと兼用のバッグである。だが、価格が5,980円とかなり手頃だ。意外に本格派のバッグがこの値段で買えるのだ。これなどは、イケメンで優雅だが、実はファンとの距離を敢えて気にせずに気さくに話しかける韓流俳優らとも通じるものがある。いずれにしろ、これら韓流の意外に良い商材は益々出回りそうだ。今では、発掘しようと頻繁に海外にも行っている業界商社なども多い。また、それら日本国内販売代理店は、徹底した検品を行うから、不良品などが市場に出回ることもほとんどないようだ。

 まさに、イケメン俳優の雰囲気で売り上げ伸ばす韓国ブランドの写真用品、なのだ。

 しかし、この韓流ドラマというのは全年齢層の女性に人気のようだ。帰省したおりに、文字通りの『老母』も見入っていた。ただ、それを実家ではずっと放映して見ていたせいか、こちらはすっかりセリフなどが頭に入ってしまった。何か、余計なことに乏しい脳細胞を使ったようで、妙に虚しかった・・

古代神話のイザナギも認めた(であろう)浅沼の新三脚CT-4A

  古来日本は混沌から生まれた。・・・もちろん、これは日本書紀の話である。いささか乱暴だが、要はイザナギとイザナミが棒状のもので混沌をかき回し、そこから生まれたのが日本の島々というわけだ。こんなのはもちろん、ありえないことだろう。だが、もともとの日本人いや人間というもののあり方までさかのぼると、的を得た解釈ということも言える。

 IMGP4274 (2).jpgアナーキーという言葉がある。これが政治的に使われると無政府主義ということになり、戦前なら特高に今なら、公安調査庁あたりに目を付けられそうな雰囲気だ。だが、そもそもアナーキーという概念の保有自体は極めて個人主義的色彩が強いものである。完全なる虚無というという指針につながる。即ち、何もないということだ。ちなみに、この概念を有する人材は、あの身分制度が徹底していた江戸時代にも存在していた。安藤昌益という人で、彼は『天地も人間社会ももともとは、活真というひとつのまとまりである。なので上下関係なども当初から存在しない』と公言していた。

 当時としては凄まじいことだろう。士農工商など否定していることになる。だが、と安藤は問う。現実社会では上下の身分がある。それは、本来のものでなない。そこで、上に立つ者がその地位を捨てれば、下から搾取することはなくなるし、下にいるものは地位を拒否すれば、媚びへつらう不自然な行為をしなくてもよくなる。そのためには、全ての者が平等に畑を耕す生活を基盤とすればよい、というのだ。彼は、そのために宗教上のあらゆる教祖も否定している。孔子や釈迦なども、畑も耕さない優越的地位の宗教者や学者層を生んだ、と容赦ない。

 彼など、本当に虚無としての思想が感じられる。人工物を否定しているのだ。だが、根本などその通りだと思う。まぁ、みんな一斉に畑を耕す云々はどうかと思うが、本質的に人はあらゆる縛りも何もない状態で存在している。この欄でも以前に触れたが、それを、そのまま野放しで動くと、力の強い人間が物を奪い勝利者となる。これでは、もともと力の弱い者や女性、あるいは年を取った人には不利になる。そこで、社会的ルール即ち法を定めて警察機関を設けたりして、自力執行力を禁止したりした。

 だが、これまでの説明でも理解できるように、もともとこれらは人間が社会生活を円滑に営むために、便宜上作ったものであった。基本は、人間は何も無いところからスタートしている。いわば、地位や身分や社会のルールなどは便宜的に定めたシステムなのである。その自分たちの作った定観なり常識とかいうやつに、いつの間にか縛られてしまっているから奇妙なことだ。

 IMGP4280 (2).jpgこんな既存の概念など、大きな戦争や昨年の震災以上の例えば東京直下型でも起きれば崩れることは目に見えている。だから、普段から何も無いのが原点というスタンスをどっかにおいておけば、かなり自由な開放されたような気分になれる気がするし、つまらない固定観念に縛られることなく、自分にイノベーション、社会にイノベーションをごく軽く起こせると思う。これが真のベンチャースピリットだ。

 で、用品の中でだが、固定観念をこわすような三脚が先月のCP+で参考展示されていたのは驚いた。しかも、あの老舗の浅沼商会のブースでだ。「Fotopro CT-4A」という商品だが、一本で4つの機能を持たせている。脚が自在に取り外せて、一脚にも(雲台を取り外せば)ステッキにもなる。脚の部分に同梱の短い脚をつければミニ三脚にもなる。もはや、ここまでいくと三脚という概念ではない。多機能なカメラ用脚機材だ。いや、ステッキにもなるのだから、カメラ用品としての枠を超えている。まさに、アナーキーな用品であり、かつ我が国の成り立ちである混沌から発生したような限度の無い機材だ。たぶん、国造りのイザナギも見たら、まさに混沌から生まれた本来の用品である、と大きく頷くだろう。

    古代神話のイザナギも認めた(であろう)浅沼の新三脚CT-4A、なのだ。

 しかし、何も無い原点は本当に必要だろうなぁ。ただ、こちらのようにもともと地位も名誉も金のないのは、最初からアナーキーな存在なのだろう・・。

街を駆けるKカンパニーの製品やパワーには渋さを感じる

よくドラマや小説で、第三勢力的な人物なり集団が登場する。実力はあるが、旗色不鮮明で一見何を考えているかわからない。敵か味方か判然としない。まぁ、最終的には主人公に対して協力をしてくれ力を貸し、サッと身を引いて去っていく。なかなか渋い役どころである。

 もちろん、このような第三勢力と言うのは、ひとつの集合体が発展するについて必要な存在なのであるから、当然ながらクローズアップされるというわけだ。これは現在大手と言われている多くの企業の成り立ちをみてもわかる。これらは、もともとは街の工場なり、ワンルーム程度の規模からはじめた小さなカンパニーであった。だが、圧倒的な実力と創業者のエネルギーが生んだ運のようなものに乗って大きく成長していく。その過程で多くのものを得ていったのだが、手放さなくてはならないものの出てきた。それは一言でいうと、『街を駆けるパワー』である。少々、ゲリラ的だがあらゆる新規のことに手を出し、機動性をもって成果をあげていく、という姿勢である。何せ、企業が大きくなるにつれ、組織体が完成し人も多く雇うことになる。創業者の意志にかかわらずに、業界という存在に取り込まれていく。ある種の名誉が必要になり、軽々しく動けなくなる。仕方のないところである。

 だが、やはり企業が有効に活動するためには、ゲリラ的な新規の動きというのは常に必要になのである。もちろん、新規事業部というのは設けているが、これは限界があるだろう。何せ、企業の名前を堂々と名乗っているからだ。

 ちなみに、今、企業と書いたが、これは昔の大名家などにも必要であった。とかく巨大で格式や伝統という肩書も持ってしまった彼らにとって、やはり機動性をもった集団の助力がいる。たとえば、戦国時代の最大の傭兵集団と称された雑賀党や九鬼水軍なんかの存在がある。さらにいえば、幕末期における坂本龍馬の海援隊の存在もそうだろう。彼らは新式の武器も駆使した。新規商材の取り扱いにも巧みだったのである。

 06_s.jpg写真用品業界でも、この例にもれない。いくら小さな部品屋さんあたりからスタートしたところで、社として大きくなると、あまり極端な動きはできなくなる。もちろん、同じ写真関連でもカメラメーカーと比べると、動きはまだまだ柔軟であるが、それでもそうそう『街を駆け抜ける』ことはできない。

 そんなときに登場するのが、今まで述べてきたような駆動するカンパニーである。それらの集団が、用品業界に渋く貢献し、活性化させる。そのうちのひとつがkカンパニーという企業である。かって名門のレモン社で活躍した人材で構成されているが、この企業の動きが実に渋い。海外に出かけ、新たな商材を仕入れ提案する。そうかと思うと、様々な用品メーカーと連携し商品を仕入れ、普段それらの企業の取引実績がないが、やはり売りたいと思うような店舗にセールスし、実績作りに協力する。もちろん、大手だけではない。営業に人材をさけないが、良いものを提供する新興メーカーに対しては、その営業セールスとしての実力でカバーする。本欄でもとりあげたとことがあるブラックラピッド製品を販売するオリエンタルホビーなども、ずいぶんとカバーされて実績を作ったようだ。ちなみに、同社が海外から発掘し業界に提案した商材としてフィンガーストラップ写真)がある。これなども、それこそ通好みの専門店で、きっちりと売れ筋商品のひとつになっているのだ。

 まさに 街を駆け抜けるKカンパニーの新製品やパワーには渋さを感じる、のだ。

  ところで、今回取り上げたような、この渋い勢力の歴史は古い。今、大河ドラマの時代になっている源平の頃にも山本義経という人物がいた。源義経とたまたま名前が同じのために、実は同一人物などと言う馬鹿なことも言われたが、文字通りに地方の山本山あたりを本拠地にした一族の長である。彼は飄然と歴史に現れ、源氏に味方してのちスッと身をひいている。このような人物を時折見かけるのも歴史の面白いところだ。
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