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ケンコー・トキナーのビーストグリップは薩摩武士の覚悟をもった製品だ

 この欄でも書いたと思うが、薩摩武士の中村半次郎が好きである。

 幕末から明治にかけては、人斬り半次郎の名前のほうが有名だったかもしれない。だが、彼は言われているような暗殺はしていない。喧嘩かやむを得ず切るときは明るく名乗っている。まぁ、しかし、それはただの人殺しなのでいまの感覚からすれば褒められたことではない。

 気に入ってるのは、おそらく西南戦争あたりのころのことだろう。彼のこの言葉だ。すなわち、『戦う時は、まず鉄砲で撃つ。弾がなくなったら刀で立ち向かえ、刀が折れたら拳で殴りつけろ、その拳の腕を斬り落とされたら脚で蹴り飛ばせ、脚も切り落とされたら、相手に噛みつけ』というものだ。

 彼は闘うということが、ひとつのライフワーク的だったと思うが、この姿勢は人生そのものを考えるうえでも示唆に富んでいると思う。

 ビーストグリップ (320x320).jpg人というのは当たり前だが、長所ばかりではない。もちろん、若いころはいい。その長所ではない部分もカバーしようという気力があり、ある程度はそれが成功するからだ。だが、いずれ、わかる。人は、結局、短所と言われている部分は克服できない。自分はそれらをひっくるめて自分でしか生きられないということを。

 そう気がつくと、意外と自信喪失になるときもある。できないことが多いという欠陥のある自分が理解できるからだ。逆に言えば、若いというのは可能性を信じて何にでも手を出して、自分のできないことを知るという時間なのかもしれない。

 いずれにしても、人は自分が意外にポンコツであり、それでもこういう事はできる、という長所もあることを知る。いわば、傷だらけのガタガタな自動車をうまく乗り越えられる部分の道をコントロールしながら走るということを理解するのだ。いわば、そこからその人間の人生の本番だ。 そこで、中村半次郎の言葉だ。そんな自分だが、意外にポンコツでガタガタの自分だったが、ボロボロになりながらも、何とか生き抜いていく。中村半次郎だったら戦いぬくだが、一般人だったら生き抜くになる。ともかく、自分を受け入れたうえで覚悟を決めてとことん生き抜く。これが重要かもしれない。

 仕事柄、街の写真屋さんをよく訪問することがある。あまり、有名な店というのは興味が無い。それより、デジタル時代でプリントは減る、スマホで送るので年賀状は減る、という逆風の中で、それでも食っていくために、ともかく生き延びてやるというパワーが満ちている店が好きである。そういうところは、既存の枠になど縛られない。自分の立地や得意分野を駆使して、無理なことはバッサリと諦めて、ともかく生き延びる。場合によったら写真関連以外のものの扱い導入も辞さない。これこそが、商人の原点だと思うし、勉強することが多い。で、そのパワーを明らかにして、もしこちらの所属する業界紙を読んでくれる人が居たら元気を出してほしい。また、自分のところでも取り入れられるアイデアならアレンジして取り入れてほしい。そう思ったりもする。いずれにしても、生きて生き抜く。これが第一だと思う。

 ところで写真用品である。撮影というのは、年をかさねると辛くなることがある。重い機材を持つのも辛い。でも、そういう状態でもやはり撮影や画像制作は楽しみたい。ごく気軽なアプローチでだ。そういう意味で、これからのシニア層に撮影に対する選択肢を提供する用品が、ケンコー・トキナーのビーストグリップである。スマホというごく日常の機材を使って、本格的な動画などの撮影などを楽しめるようにしたサポート機材である。これで、人は自分の年齢や体力を受け入れながらも、映像制作というライフワークに取り組む事ができるのだ。

 やはり、ケンコー・トキナーが販売するビーストグリップは中村半次郎の覚悟を持ったアイテム、なのだ。 

しかし・・本当に面白い商材だ。3月発売なのだが、CP+でも話題になりそうだ。例え、体力が落ちようと好きなものは貫いていく。さすがな機材だ。よし、今夕はやはり寒さなどにも負けずに近所の安酒場通いは続けよう。実は、二日酔いでボロボロなのだが。。

トミーテックのボーグ製品は徳川家康の覚悟が感じられるのだ

  人間は、結局は何者にもなれない。自分を生きるしかないのだと思う。

 若いころは、確かに何かになりたいと思う。それは、外部の誰かという存在の憧れであったりする。そのスタイルを真似ようとする。自分もああいう風になれるはずだと思う。だが、年を積み重ねてくると、だいたい理解できるようになる。やはり、自分は良い意味でも悪い意味でも自分を生きるしかないと。

 コボーグ.png人間には良い面も悪い面もある。これは、実は死ぬまで持って行くしかないのだ。もちろん、その悪い面を見て出さないように、あるいは良い方向性に向けるようにコントロールすることはできるだろう。だが、それは扱いをうまくできるようになったというだけ。本質を変えたわけではないし、また変えられないものなのだ。

 年をかさねたら、そうどこかで開き直って、ともかく自分のこの良い面も悪い面もひっくるめた基本スペックで生きていくしかないのだ。いや、その自分スペックで生き延びてやる、でいいのだ。そのうえで、そのスペックの困った面はうまくコントロールする術は身につけていく。これが、成長というものの本質ではないかと思うのだ。

 その良い例は徳川家康だろう。彼ほど、様々なスタイルを真似した人間はいない。あるときは、今川の軍師である大原雪斎になりきり、ある時は武田信玄になりきった。ともかく、人を真似るのはうまくかった人物だが、中年以降はそれらから学んだ点も取り入れて、オリジナルの自分を確立した感がある。それは、誰とも似ていない家康独自のスタイルであった。要は、自分は自分でしかないと気がついたのではないか。もちろん、知識として他の賢人たちのスタイルを知っているから、たまには自分をコントロールして、賢人スタイルの知恵も取り入れつつだ。

 そういう意味では、トミーテックのボーグ製品には、家康同様に自分のスペックで生き延びてやろうという覚悟を感じる。ここは、もともと天体や野鳥の望遠鏡を作っていたのだが、その鏡筒を超望遠レンズとして活用するための方向性も打ち出し、写真ルートにも展開し様々な面からの生き残りをかけている。もちろん、まだまだ結果がともなっているとは言えないが、それでも少しずつ浸透している。さらに、組立が面倒という部分は組み立て済みのセットを出すことでコントロールしようとしている。しっかりしたメーカーである。

 まさにボーグの鏡筒を使ったカメラ用セットには徳川家康のような一徹な覚悟を感じる、のだ。

 しかし、本当に良くも悪くも一定の自分でしかいられないよなぁ。だから、常に近くの安酒場に行く。たまに、酒の銘柄を変えて安いので選んだりと、コントロールしながら・・。

浅沼商会の新速写ストラップ発売には不撓不屈の精神が感じられるのだ

  ありきたりの言い方だが。。諦めない、ということは大事なのだろう。

 ともかく、しつこいという人間がいる。何があっても、諦めないのだ。一度ダメでも、手を変え、品を変えてみる。それでも、駄目なら一度様子を見るが、時期を見計らって再チャレンジする。こうしていると、結局、運命の流れが引き寄せられるように、その人間に味方したりするのだから不思議だ。

 detail-6-fotospeed (320x200).jpg有名なところでいうと、今の朝ドラの主人公のモデルとなった広岡浅子などは、七転び八起きならぬ九転十起といったのは有名だろう。確か、ドラマでもそんなセリフが出てくる。短気のイメージであった織田信長だって同様で、武田信玄の甲斐の国が難攻不落だと思うと、あっさりひいてあろうことかお世辞などを言って油断させようとしている。それでも、なびかないので一度様子を見たのだが、しばらくして当人が亡くなって、オヤジほどの器ではない武田勝頼が跡を継ぐと、一気に攻め立てている。その時に使ったのが、有名な鉄砲の三段撃ちで、信長は諦めずに時期が来るまではジッと騎馬軍団への攻略法を考えていたことが良くわかる。

 現代的なところでは、マルチで活躍している須藤元気氏などもそうだ。彼の著書を読むと、様々な願望を達成する際に、正攻法で駄目なら何とか他のやり方を見つけてやりきっている。例えば、レスリングを始めた際に体格の壁にぶつかったところ、フリースタイルというのを諦めて、グレコローマンスタイルという競合者が少ないスタイルのほうに挑戦。日本のタイトルを取得している。総合格闘技に進み、それを引退してダンスを始めてからもそうだ。国内だと、畑違いの自分などは相手にされそうもない。また、自分よりはるかに上のダンサーがいる。そこで彼は、米国に打って出て、しかも米国人が視るところの日本人のイメージを最大に表現して人気をつかんだ。逆に、そこでの人気をバックに、国内に呼ばれるという結果にもなった。

 つまり、それぞれ柔軟にしているが、その心の根底には諦めない、という心持がある。逆に言えば、柔軟にやり方を工夫さえすれば、諦めなければほとんどの障害は突破できるということだ。

 これは、写真用品の展開だってそうだろう。いまや、速写ストラップというのは、飽和の感があることは事実だ。今から、市場に参入するなどというのは疑問視されるだろう。だが、だからといって、需要がある市場ではあるのだから、果敢にチャレンジすれば、競合者が慣れてだれているところで、その一定数はある市場でシェアが取れるかもしれないのだ。

 そんな思惑で、一気に参入を狙うのが浅沼商会だ。同社が扱うFOTO SPEEDは、後発がゆえに逆に、これまでの既存の製品の改良点をじっくりと見極めて開発したのがポイントだ。ひょっとしたら、一気に滞留する市場をつかむかもしれない。

 まさに、浅沼商会の新速写ストラップは不撓不屈さで侵略する製品、なのだ。

 しかし・・本当にそうだよなぁ。諦めなければ、何とかなると思う。行きつけの安酒場だって、諦めずに通えば、そのうちボトルを一本サービスしてくれるかも。よし、今から行ってこよう!

グリーンハウスと山田屋写真用品はこだわることの重要さを教えてくれているのだ。

 改めて、あけましておめでとうございます。といっても、今更だろうが。何となくカッコがつかないので書いた。

 p_p-p_cf_c (320x267).jpgしかし・・世の中どう転ぶかわからないものだ、とつくづく思う。というか、よくよくこれまでの歴史的な流れを俯瞰して見ると、歴史は繰り返す、ということがよくわかる。例えば、ある事象がトレンドだったとする。だが、しばらくたつと忘れ去られ、別のものがトレンドとなる。だが、しばらくたつと、最初のものが見直されたりする。

 これは、シンプルだが正解に近いのではないか。もちろん、一昔前の形そのものではない。多少はアレンジされてはいる。だが、ベースは同じだったりするのだ。

 では、どの時代のものが繰り返しの対象になるのか。観るところ、近代国家である明治の頃からの繰り返しが行われているような気がしてならない。その顕著な例のひとつをあげると、英語教育の話がある。

 明治のころの英語教育というのは、まず話すことが重要であった。あるいは、ロマンチックな教養的なものであった。事実、初期のころの東大の予備門即ち教養課程の英語は、誌を朗読させたり暗唱させたりといったものであった。が、その会話偏重に意を唱えるものたちが出始めた。

 そう。英語は文法だ、構文だのと主張しだしたのだ。もちろん、最初は鼻で笑われた。だが、時代とともに、それが当然の形になったのだ。ちなみに、最初にそういった英語教育をしようとした学校は、会話主体の英語を変則ととらえて、文法や構文をじっくりやるのを正則だとした。これが、今の正則高校の発祥の学校である。また、東大の講師に就任して、これまで詩の朗読などが中心となっていた英語教育を文法中心に変えたのは、夏目漱石である。で、今まで朗読中心の教えをしていたのは、ラフガディオハーンである。

 51ffBIxyfRL__SX425_ (320x320).jpgその後、この文法中心の正則だが、かなり弊害が出てきた。結果、今は会話中心の教育に移り変わりつつあるようだ。だが、この勢いでいくと、再び文法学習が中心となるのではないか。

 ちょうど、業界ではこれはまだ一部だが、結構、フィルムカメラの勢いがいい。しかも若い人にだ。これも、一昔前に逆戻り現象のひとつかもしれない。もっとも、書いたようにアレンジは加えられている。あくまで、お洒落グッズ的な取り扱いの面もあるからだ。が、流行りつつあることは確かである。

 つまり、今はやっていても、すぐにすたれて、少し前に戻る。これの繰り返しの様な気がする。では、こういった市場の特性にうまく乗るにはどうしたらよいか。ともかく、一度すたれたマーケットにも撤退するのではなく、少しは足がかりを残しておくのも有効だろう。また、市場が完全になくなるわけではないのだから、他が出て行った後に、その市場シェアを一気にとっておいて、また波が来たときにはさらに売り上げをとれる体制にしておく、こういった手法もある。

 これをうまく行っているのがグリーンハウスだ。ここは、デジタルフォトフレームや、低容量のコンパクトフラッシュといった、他が撤退した市場に着目し、敢えて残り。競合者がいない今となっては、市場を獲得し利益をあげている。ここは、面白いやり方だ。

 だが、究極の例としては、流行り廃りに関係なく、好きな分野のものを手がけるという方法もある。だいたい、流行り廃りのスパンなどわからないのだから、そんなマーケットに左右されていたら、どうしたらいいのかわからなくなるだけだ。それなら、いっそのこと好きなことを貫いたほうがいい。ただ、どうしてもマーケットに合わないのなら、その一方で手堅く売れる商材を、これは好き嫌いではなくサブとして扱えばいいのだ。それでバランスを保つ。

 このやり方をうまくとっているのは、山田屋写真用品だ。得意分野である台紙と、手堅く通年で売れるカメラケースとのバランスで実績をあげている。

 いずれにしても、こだわりだ。少なくなっても市場に残るこだわり、好きなことを貫くこだわり、これが常に変化にさらされ不安定な市場への不安をなくすコツのような気もする。

 不安感をなくすのは対応ではない。ともかく、自分のこだわりを貫くことだろう。そのことを、この2社は教えてくれている。

  グリーンハウスも山田屋写真用品も不安をなくすのは『こだわり』ということを教えてくれている、のだ。

  本当にそう思う。意外に市場の動きと言うのは、商売云々だけではなく、人の生き方とかにもヒントを与えてくれそうな気がする。生きていくのは、計算ではない。こだわりが重要だってね。。