So-net無料ブログ作成
検索選択

キングの高級写真立てには老舗の底力を感じる

  生きていくというのは非常にパワーがいる。そのパワーと言うのを包み隠さずにギタギタに出している姿を見るのが好きである。これが、全ての原点だと思うからだ。

 想い出~1.JPGそもそも、これまでの生物の進化にしたって、樹の上で生活をしていた猿が、砂漠化が進んで森林地域が少なくなってきた中で、追い出されて必死で生きていこうと不器用ながらも努力し知恵を絞った結果だ。道具を発明し火を巧みに使い他の動物に勝利を収めて霊長類として進化してきたのだ。ここには、何とか生き抜こうというパワーしか感じられない。

 本多静六という学者がいた。日比谷公園の設計でも名高い彼は、文字通りに努力の人である。もともとは裕福な家系に生まれたのだが、その後に家は没落。貧困生活のなかでも、コメをつきながら勉学に励み、その地位を築き上げた。彼の自伝やあるいは本を読んでも、そこには苦労したなぁという事実は書かれていても、妙に悲惨さはない。むしろ、ぎりぎりのところからも這い上がる明るさのあるパワーを感じるのだ。

 だいたい、人と言うのは、本当の絶望に追い込まれたら、もはや笑ってゼロからスタートするしかない。そこには、空っぽの明朗さしかないのだ。新撰組の沖田総司は結核に侵された上に、負けて京都落ちをするさいにも冗談ばかり言って明るかったという。彼はのちに亡くなってしまったが、もし回復していたら、その底を観た人間の独特のパワーで明治の御代に活躍していたかもしれない。

 これまでの自分の身上を考えた場合、それが良いものであればあるほど、人は弱くなる。そこには懐かしみと落ち込みしかない。だが、そんなものはかなぐり捨てて、ゼロから始めると考えれば、そこにはパワーと明るさしかない。常に、そういうパワーを発揮している場合は、強い。それが、人間でも会社でもだ。

 ところで、写真用品である。浅沼商会という老舗の業界企業がある。本来は、流通商社業務なのだが、ここのところ以前から扱っていた用品部門にも注力。独自の展開をしてファンを作っている。で、この浅沼の用品だが、老舗とは思えないほどに、柔軟でありなんにでもチャレンジする。ある意味、老舗ということなど、かなぐり捨てている。ともかく、良いものはどんどんと挑戦し続けるのである。速写ストラップにも改めて取り組んだし、動画関係も展開している。雑貨的な商材もある。そんな浅沼がキングブランドで出した新製品が、高級フォトフレームの「想い出」である。山中漆器職人がひとつひとつ手をかけて製造した商品である。手ごろな可愛い小物を出したと思ったら、次は高級フレームだ。浅沼商会の老舗という既存の概念をかなぐり捨ててパワーをもって展開する姿勢には、いつも頭が下がる。

 まさに、キングの高級写真立ては老舗のギリギリのパワーを感じる商品、なのだ。

 しかし・・本当にそうだよなぁ。ともかく、ゼロからの時は明るくパワーを発揮する場でもある。だから、酒が切れたら、何とか安い酒でも酒場ででも呑もうとするものだ。この時のパワーは我ながらすごいと日々思っている。。

ガードフォースのエンデバーは程よいバランスの取れたバッグなのだ

  作家の百田尚樹氏のサイン会の会場に爆破予告があったそうである。もちろん、実行されるとは思えない。が、その時の百田氏のコメントが良かった。「この国の平和主義者は暴力を好む」というものだ。

 ガードフォースのバッグ (320x240).jpg実は、事の実行という事に躍起になると、本質的なものを見失ってしまうことがある。奇妙なことだが、ありがちなことだ。以前に勤務していた会社で、派閥に絶対属さないと息巻いていた社員らがいたが、よく見るとそういう考え方の人間が派閥を作っていたのである。当然、内部での力関係もあり面倒くさくなっていた。

 昔読んだ時代小説では、柳生十兵衛が自身の剣技を追求していくあまり、新たな境地に達した。それは、いいが旧来からの自分が極めた新陰流を否定するという流れになり、新たな剣技を引っ提げて自分や自分の父親である柳生宗矩が育てた弟子たちをいちいち斬ってまわるという行動が描写されていた。

 これらは一見奇妙であるが、実は大真面目なのである。つまり、ひとつの側面にばかりこだわりすぎると、別の側面も必然的にあらわれてしまうということだ。

 仕方のないことだが、これが真実ということになる。そういえば、私事で恐縮だが、小学校の時に猫背気味の自分の姿勢を直そうと思い立った。人への印象がわるくなると親からも指摘されたのである。だが、なかなか習慣は治らない。そこでどうしたか。服の背にものさしをいれておくことを考えたのである。結果、否応なく背筋を伸ばすことはできたのだが、お辞儀がきちんとできないということになってしまい。教師から怒られた。それは、そうだろう。おはようございます、と言いながら背を反らしているのだから。。

 また、同様に学生のころも自分の歩き方に気を付けようと思い、モデルのような魅力的な歩き方を考えたことがあったのだが、それらを練習して外に出るときに実行していたところ、いちいち非常に疲れることがわかった。結果、なるべく外に出かけないで、自宅でごろごろすることになってしまった。

 今から考えると、できるだけ気を付けよう、という程度で、何も厳密にやる必要などなかったのだが。。

 何事も程が大事だ。だが、逆に考えれば、程を大事にすれば、矛盾する両面でもきちんと両立することができる。適当に姿勢がよくなっただろうし、柳生十兵衛だって、弟子に新たな剣術を広めながらも自分の境地も少しずつ切り開けたかもしれない。

 ところで、写真用品である。ガードフォースからエンデバーというバッグが発売された。これが面白くて、もともとはハンティング用に開発された迷彩柄のバッグを若干、野鳥撮影ユーザー用に仕様を変えて発売したものだ。つまり、ハンティングで銃をひっかけるところは三脚用にして、内部もカメラが入れられるようにしたのである。これぞ、違う面の良さを程よく取り入れた有意義なバッグである。

 まさに、ガードフォースのエンデバーは程よいバランス感覚が両立したバッグ、なのだ。

 ところで、話は変わってしまうが。先日、日本写真家協会のセミナーで、スリック、ベルボン、マンフロットの担当者が一堂に会しディスカッションするという場面があった。非常に面白い試みであり、盛況だった。が、物足りなかったことがあった。この時こそ、ベルボンのマタさんが上半身裸になり、鍛えた筋肉を見せつつ、自社の三脚を曲げようとしても曲げられないというパフォーマンスをやってPRして欲しかったのだ。。残念だ。フォトネクストでこそ、期待しよう!

サイトロンジャパンの撮影機材アイテム発売には吹っ切れたベンチャーの強さを感じる

 なぜ、大人がキレてはいけないのだろうか。

 キレることに抵抗感を持つ風潮がある。まぁ、当たり前か。もちろん、最近のよくわからずに駅でがみがみ言っているシニア層に対しては、正直みっともないとは思う。

 だが、もやもやとした気持をもっている大人が、キレる、いや言い方が悪い。吹っ切れるということは必要なのではないだろうか。端的に、この例をあげると、会社でのパワハラまがいへの行為に対する態度だろう。ともかく、一度キレてしまえばいいのだ。よく、いや戦略的にやらないといけないなどと、言う輩がいるが、そんなこと言っていたら、結局は何もできない。一度、損得を考えずに切れてしまうというのもひとつの手だ。いくらなんでも、現在の法律では、一度キレたからといって解雇されることはまずない。まぁ、暴力沙汰にでもなれば話は別だが。

 サイトロンジャパン.jpgこれは、以前にもこの欄でも書いたと思うが、江戸時代だって城内でのパワハラにあった武士が何人も斬りつけたケースがある。有名なところでは、浅野の刃傷事件だって同じ原理だ。つまり、昔からある行為なのであり、これはなくならないのだ。

 一度、キレると文字通りに吹っ切れるという現象が起こる。そうしたら、冷静に対応できるだろう。

 この吹っ切れるというのは是非お勧めしたい境地だ。これは、何もパワハラ云々ではない。例えば、どうしても医者になりたい社会人が、ある日に学士入学をして医者を目指すのも、吹っ切れだ。つまり、自分を全く違うステージにおしやるということだ。もちろん、脱サラして起業するタイプもそうだろう。

 要は自分をおしこめないという事。どっかで吹っ切れて改めて人生に勝負を挑む。それは、年齢や状況に関係がなく、してもいいのではないだろうか。

 ところで、写真用品である。サイトロンジャパンというケンコー・トキナーの子会社がある。この会社が、妙に最近吹っ切れている。以前は、天体用品や銃関係のブランド品を扱っており、そこそこ有名ではあった。が、そこが改めて写真用品分野を本格的に始動させている。その勢いは強く、スマホ用の本格的なレンズシステムや、交換レンズ、フラッシュ、あるいはカメラまで手がけだしている。確かに、ここは用品工業会の会員である立派な用品メーカーである。写真用品分野を本格的に手掛けてもいい。このベンチャースピリットは見習うべきものがある。

 まさに、サイトロンジャパンの撮影機材の展開には吹っ切れたベンチャー精神を感じる、のだ。

 しかし・・本当にそうだよなぁ。こちらも、そろそろ吹っ切れてみることにする。まずは、前のこの欄でも書いたように、安酒場など捨てて、公園でのベンチ呑みだな。

ジャパンホビーツールのイージーラッパーは定見なき時代を生き抜くための写真用品だ

  業界誌の方のコラム欄でも書いたが。もはや、世の中の定見とかセオリーは関係なくなっていると思う。

  本来なら、なかなか画期的なものが出にくいはずの最高裁の判決でも、高裁の判断を覆すようなものが出始めている。例えば、認知症の親が電車に轢かれたことで、JR側が運行遅延の賠償を求めたことに対して争った裁判だ。高裁までは、遺族である親族の監督責任を認めていたのだが、最高裁で一転して否定した。あるいは、広島のほうでは出産のための休暇をとったところ降格となった理学療法士が勤務先の病院を訴えていた裁判でも、最高裁で理学療法士の言い分を認める判決が下された。これらに言えることは、金もなければ時間もない不利な立場の個人が金もあり担当者もつけられる企業や団体に打ち勝ったのである。

 ewrp-size.jpgネット時代になり、個人でも気軽に電子出版の形で自分の本を売れるようになったし。もはや、サラリーマンだって自宅で働ける時代だ。いや、そもそも雇われるという生き方自体が、ただのひとつのパターンになりつつある。個人事業主として協力するカタチもあるからだ。

 ただ、いくら定見がなくなった時代だと言っても、大事なことがひとつだけあるだろう。それは、自分の気持ちというやつだ。これだけは、シンプルに『物事に立ち向かうという』姿勢をとったほうがいいかもしれない。

 そもそも、この気持ちがないと問題がこじれるだけだ。最近よく言われるAVへの素人の出演強要にしたって、かなり脅かされる。それで、自分が我慢すれば丸く収まる。これが、そもそもの発端である。気持ちはわかるが。。さらに、会社のパワハラだってそうだ。黙っていれば、流しておけばいい、となぁなぁで踏み出さないから、ますますエスカレートする。やはり、古臭いが、どっかで立ち向かうという気持ちを持っていないといけないのだ。確かに立ち向かうとデメリットも出てくるだろう。だが、そのデメリットは、なぁなぁで流してしまったデメリットと比較すれば、小さなことだ。

 シンプルな法則だが、これがこの世の中を生きるうえで肝のような気がする。

 ところで、写真用品である。ジャパンホビーツールが販売するイージーラッパーという商品だが、これが本当に不思議な新型ふろしきだ。ともかく、ホワっとカメラを包み、やんわりと口を閉じる感じでしっかりと保護してしまう。CP+の会場で見たときは、何とも奇妙な感じがした。何か、定見のない柔らかさだが、対象物をしっかりと包んで保護するという肝は押さえている。

 まさに、ジャパンホビーツールのイージーラッパーは定見なき世の中を生き抜く新型写真用品、なのだ。

 しかし・・本当に定見はないよなぁ。だが、逆に言えば自分で自由に立てる時代ということになるだろうなぁ。よし、もう安酒場は辞めた。近くの公園で桜でもみながら、缶ビールでも吞むぞ。。こちらのほうが、さらに安い・・。