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銀一が取り扱うマイクのロードは道なきところに道を作ったのだ

 道無き道を行く、などというフレーズがある。この文章をよくみると、なかなか奥が深いことが理解できる。

 0698813004478_005.jpgすなわち、道がなかろうが、道を歩いていくことは可能だという意味にならないだろうか。よく、もはや進路がない、などと思ったりすることもあるが、そんなことはないのだ。道は無ければ、作っていけばいいのだ。いや、作らずとも、よく目を凝らせば、道は見えてきたりする。

 江戸時代後期の剣豪の千葉周作の話だ。彼は、ある時友人らと船と船頭を雇い海に出た。その友人とは、短歌の話などが弾み、また若い船頭も陽気が良かったからか、のんびりと過ごして時間が経つのを忘れてしまった。気がつくと、あたりは夕闇となっていた。ここで、船頭は焦った。もときた浜のほうに戻ろうにも漕げども着かないのだ。おりしも風が強くなってきており、進路を誤ったのだ。

 これには、さしもの剣豪も弱った。泳ぎも達者でもない。友人と不安そうに松明に照らされた漆黒の海原を眺めていた。船頭は焦り、ますます事態は悪くなった。が、ここでハタと気がついた。鳥が出てくる古歌を思い出したのだ。おりしも、歌に歌われたのと同じ鳥が飛んでいた。彼は、そこから方角を割り出し、なんとか浜に帰り着いた。

 詫びる船頭に気にするなと伝えて、彼が宿に帰ろうとした時、その若い船頭が父親から怒られているのを聞いた。その老船頭曰く、自分の手元だけ明るくするから航路が見えなくなったのだ。そんなときは、松明を消して、闇になれた段階で目を凝らせば、浜は見えたはずだ、と。千葉周作は、そこで悟ったという。この言葉に代表されるように、人は自分の手元だけ深く照らそうとしがちだから、先の道を見失うのではないか。それをやめて、一度深く先を見ようとすることで、本当の道を見つけられるのではないか、と。

 それからしばらくして、彼は通っていた道場を辞めると、自派の剣、北辰一刀流を立ち上げたという。

 人はその場のことだけ考えがちだ。だが、一度そういった小市民的な計算は止めて、自分の進路について目を凝らす必要があると思う。で、見えてきた道は実は、なかなか大変そうだったり無理そうだったりするかもしれない。だが、道は無さそうでも実はあるし、見つかるのである。このときは、本当に虚心になって探してみることだろう。

 いや、生活が云々、などということもあるだろう。が、そんなことは実はなんとでもなるのである。アルバイトを掛け持ちしたっていいだろう。それより、先に目を凝らした道をともかく歩いてしまうことだ。やってしまったら、意外に怖くもない。むしろ、やらずにくすぶったまま時が経つほうが、問題なのだろう。

 ところで、写真用品である。銀一がロードというブランドのマイクを取り扱っている。マイクというと放送機材でしか活用しないというイメージがあるが、実はデジタル一眼での動画撮影時にも使うわけだし、最近ではスマホ動画を撮る際にも活用する。だが、どういうわけか、用品メーカーらは、この分野が弱かった。というか、動画の三脚などは出しても、画像撮影絡みとは別のマイクにまで気が回らなかったのであろう。そこに登場したのが、銀一である。つまり、道があまりなかったところにロードを開いたのだ。しかも、コンシューマ用も含めた幅広いアイテムでだ。

 まさに、銀一のマイクブランドのロードは道なきところに道を作ったアイテム、なのだ。

しかし・・本当にそうだよなぁ。。道のないところに道を作るのだ。よし、これからはまだ呑んでいなかった、高い酒を安酒場で呑むぞ!

ユーエヌの電動リモートスイッチは新機軸へのスタートを押しているのだ

 どこかで襟を正さないといけないときが必ずくる。これは、人も企業も同じだ。

 ダラダラとするのは非常に楽だ。だが、世の中というのは常に動いている。ということとは、現状維持というのは、実は変わらないということではなく、退歩しているということだ。だから、ますます苦しくなるのだ。もちろん、それでもいいと投げた行き方をするという選択はある。だが、それだといろいろと差し障りが出る場合があるだろう。

 とはいっても、新たな方針を打ち出して、予想外の事態にさらされたり、気の進まないままアクションしたりするのは非常に面倒である。だが、どこかでやらないといけない。

ユーエヌ写.jpg これは、当人だけの問題ではない。例えば、先祖代々続く家が今一つ、経済的に恵まれていないとする。このままいくと、それが続くだろう。だから、どうしても、その家系で、自分のしがらみを断ち切るような人間がいないといけない。そこで、一発逆転するのだ。負の連鎖はどこかで切らないといけない。

 相当に勇気がいる場合もある。だが、どこかで断ち切り、襟を正す必要があるのだ。

 そういう点では、写真用品のメーカーは、常に自分の縛りを断ち切り、新たな軸を打ち出すところが多い。例えば、ユーエヌである。この会社は、割とこだわりの小物が多かったのだが、そのこだわりをさらに深めるtことにしたという。その象徴的な例が、クラシックシリーズともいうべき新製品群の数々である。最近発売された電動リモートスイッチに関しては、敢えて縦型のスイッチにこだわりを示した。昔懐かしい雰囲気に触れたいと思うと、かなり良い感じである。さらに、今後の新製品として予定しているのが、ペンF用の木製グリップである。これも、このクラシックさがいい。この社の担当者に話を聞くと、明確に新たな路線を追求しようとしていた。大きな枠ではなく、小さな枠を狙い、その枠内では確実にファンをつかんでいくというのである。さらに、同社が以前から出していた、こだわりの部分も進化させる。

 考えてみれば、今の朝ドラが人気があるのも、主人公らの立居振舞と言葉遣いが、非常に丁寧だからだ。何か安心感があるらしいのだ。こういうのは、古臭いと言われようが、なんだかんだと人にはうける。ユーエヌの狙いは間違ってないのだ。

 まさに、ユーエヌの電動リモートスイッチは新機軸へのスタートを押している、のだ。

 しかし・・本当にどこかで連鎖は断ち切らないとナァ。この悪酔い癖もどこかで止めないと、ずっとこのままだ。よし、その方法を相談しに、行きつけの安酒場に行くか!

サイトロンジャパンが取り扱うベレッタのバッグは写真業界でもファンの気持ちを撃ちぬきそうだ

  どうも違和感がある。そう思う時が、たまにあるのだ。

 そのあたりを一度分析してみると、ある特定の条件の方々と話すときということが良くわかった。具体的に言うと永いこと海外で生活していたとか、大学からあちらで最近帰国した、とか。そういう方々である。別に悪い印象ではない。だが、違和感はぬぐいきれないのである。

 BS3822120700_CLOSEUP2 (240x320).jpgスペイン人と結婚して、このほど離婚して帰国したという人と一度珈琲を飲みながら話込んだことがある。だが、なんか違うのだ。この人は、喧嘩売ってんのか、という感じでこちらの会話の端々を追及してくるし、踏み込んでくる。では、こちらに悪意でもあるのかというと、そんな感じでもない。聞くと、向こうでは通常のスポーツを楽しむように、主張をぶつけあって相手に突っ込み、議論するという。で、どちらが勝とうと負けようと、そんなことは関係なく、終わったら乾杯して別の話題で呑み続けるという感じだ。

 それはわかる。だが、どうも違和感がある。これは、同様の環境の方が、徹底した自己主張をする現場に立ち会った時もそうだった。というか、謙譲の美徳、などという昭和の頑固おやじのような考えが頭に浮かんでしまう。もっとも、明らかに海外の方が同じ行動をしていても、何とも思わない。不思議である。

 これは、やはり論理と感覚の違いだろう。頭では分かっている。だが、見た目が明らかに日本人だと感覚的に、感情的になってしまうのだ。同じ感覚をもっているのに。。と。これは、どうにも昭和生まれとしては、仕方ないような気がして来ている。

 このように、対象が人だと違和感を感じたりするが、それがモノであればほとんど感じないだろう。例えば、ジーパンである。日本人にとって、非常に馴染んでいるものであるが、実は西部開拓時代に荒れた環境から体を守るために考え出された分厚い生地のズボンである。なので、ファッション性など本来は気にしなくていいものであり、ましてや無理にボロボロにするのは本末転倒である。そもそも、日本の今の環境で、あれほどの分厚い生地はいらないはずだ。だが、ジーパンに関しては、例えわざとボロボロにしてはいてても、逆にファッション性を追求していても何とも思わない。

 このことは、モノだけではない。観念的な文化に対してもそうだ。本来、一般的に話される標準語というのは、実は長州弁やら江戸の山の手言葉やら、いろいろなところを合わせた新興の言葉だ。江戸の地方言葉とも違う。まぁ、歴史が永いという事もあるが、これも全く違和感がない。これらが浸透した明治のころだって、違和感を持つ人はほとんどいなかったようだ。

 つまり、人間そのものに関しては、観念と違うものを見せつけられると、どうしても違和感を感じてしまうが、モノがどこからか突然現れて変化しても、それほど強い関心はないということであった。むしろ、感心しながら受け入れるほうが多い。

 そういう意味では、サイトロンジャパンが販売するベレッタのバッグは、写真用としても十分に行けそうなモノだ。前にこの欄でも書いたが、ガードフォースジャパンのハンティング用バッグは、迷彩柄という珍しいことも受けて人気である。ベレッタと言えば、老舗中の老舗のガンメーカーである。そこが、ハンティング用として打ち出して開発したのだから、堅牢性や利便性はガードフォースのに負けず劣らないハイレベルの商品ということになる。写真業界でもファンが増えそうなアイテムである。

 まさに、サイトロンジャパンが売るベレッタブランドのバッグは写真業界でも顧客の心を打ちぬくようなバッグ、なのだ。

 しかし・・本当に軍用と言うと非常に強いよなぁ。こちらも、かなり前に使っていたバッグは、ミリタリーショップで買ってきた頑丈な製品だった。これから、面白い風が吹くかもしれない。。

山櫻のcashicoは人気商品になるメッセージを織り込んだカードだ

 どんなものが流行るのか。それが、人間であれ歌であれ商品であれ、予想はつかない。が、何となくおぼろげながら、一定した法則はあるような気がする。

 cashico_products (2) (320x116).jpgまずは、わかりやすいということ。シンプルな明快性だ。人というのは、物事を判断するのに意外に手間暇かけない。最初に対象がなす主張がすぐに理解できれば興味をもち記憶に刻まれるし、わかりにくかったら、そのあとわざわざ振り返ったりはしない。人物像で言えば、小泉純一郎元総理などは、短いフレーズで簡潔に主張を述べて相手に印象づけた。故大平元首相のように、ウー、アーなどと言わないのだ。結果、あれほどの人気を保った。これは、石原慎太郎氏や橋本徹氏なども同様で、ともかくわかりやすく旗幟鮮明に主張をする。人は、こういう姿勢に爽快感を覚えるし、そもそも批判されるのは自分ではないという安全な立場に居ながら胸のすくような想いをすることができる。歌も同様だ。何を言っているのかわからないような歌というのは、よほど曲が良くない限りは、なかなか頭に残らない。ワンフレーズでもいいので、わかりやすいメッセージ性があれば、それを繰り返すことによって人気になる。例えば、朝ドラの主題歌にもなった歌なんてのは、その典型だろう。タイトルの紙飛行機と人生というのが、わかりやすく織り込まれている。尾崎豊氏の歌詞なんてのもそうで、メッセージ性が強く、さらに、メッセージが強調されるところがサビになっている。盗んだバイクというのはインパクトが大きいのだ。

 さらに、普遍性だ。いくら頭に残りやすかろうが、ニッチな世界だけのものだと当然ながら流行らない。これも人間の特性だが、自分に関係ないものとなると極端に冷たくなる。どこかしら、自分の日常にかんけいがあるものだという意識を残す必要性があるのだ。また、朝ドラで恐縮だが、今のトト姉ちゃんは、戦前戦後の家族を支えた女性の奮闘記というのでは、正直それほど惹かれない。その前の作品のように、日本女子大創設に関わり、大同生命を作ったというくらいのかかわりがないと弱い。だが、単なる女性の奮闘記ではなく、後に『暮らしの手帖』を創刊した人、といえばがぜん興味が増す。またまた、話が前後するが、この普遍の法則をうまく取り入れたのが、前作で。主人公の女性が、ちょっとずつ歴史上の人物と関わっており、それらの人々を人気俳優や実力派のベテランが演じたりしていた。これは、視聴者にとっても普遍性があるわけだ。歴史好きなオヤジまで取り込める。

 まぁ、ほかにも様々な要素があるようだが、やはりこのシンプルな明快性と普遍性を備えているのが大きい。で、これはもちろん商品開発にも言える。

 山櫻という老舗の紙製品メーカーの商品に、cashico(カシコ)という製品がある。要は、メッセージカードなのだが、これがこの性質をきっちりと踏襲している。まず、明快性だが、これはそのものズバリのメッセージカードなのでわかりやすい。さらに、普遍性だ。これが最も目立つところで、例えば本来はギフト向けのメッセージカードなのだが、封筒とセットになっているものが2アイテムあるので、ここには当然ながら写真を入れて贈れる。メッセージカード自身が厚手の紙になっているので、送るときに写真を保護してくれる。しかも、正方形と長方形があるので、チェキサイズのものから、通常のL判までバッチリだ。また、もうひとつのアイテムであるタグカードに関しては、それこそタグなので、贈りたいバッグなり用品なりにくっつけられる。メッセージを添えてだ。シンプルゆえの普遍性が活かされているのだ。

 まさに、山櫻のcashicoは売れるメッセージがシンプルに織り込まれたカード、なのだ。

 しかし・・。本当にそうだよなぁ。特に人物に関しては普遍性が大事だ。だが、これは個人的な趣味だが、ニッチな人間をデビューさせて普遍性のある存在にまで持って行くというのも、ちょっと好きだ。これは、朝ドラ前作の主人公の広岡浅子もそうで。この人物を本にした作家は、わずか10数行の人名事典の一節から発掘したという。そういうのが、物書きの醍醐味かもしれない。こちらも、明治に活躍したジャーナリストの矢野文雄という人物を普遍的にしたいという野望を持っているのだが・・。うーん。とりあえずの構想は、近くの安酒場で考えよう。

ニッシンジャパンは原理原則に則ってストロボを売る凄い企業だ!

  北川景子さんが出演しているCMが話題になった。彼女演じる上司が、部下の男性の帰宅したいという申し出に対して、拒否して居残り残業を強要するようなセリフを吐くのだ。

 確かに。これを観た際には、こちらもパワハラ的なセリフにムカッとした。が、当たり前だがCMを作成した企業は、そんな意図はない。しかし、企業イメージを悪くするのだから、良くはないだろう。もっとも、批判的なコメントに混じり、あの上司にならもっとキツク言われてもいい、などと一部のコアな趣味の人々の意見も混じってはいたのだが。。

 しかし、つくづく思ったのだが。こういうところでチェックして声をあげるというのは、悪くはないのではないか。視聴者である国民の意識がしっかりしてきたということだろう。何故なら、嫌なものは嫌だ。ダメなものはダメだ、というのは原理原則だからだ。それを、人はやれ調和だとか、やれ社会性がなどと言ってなおざりにしがちだ。

 専門家でもないが敢えて偉そうに言わせてもらうが。法律特に労働関係のものは、そういう社会的弱者が強者に対して闘える唯一の道具だと思う。原理原則というのは、青臭いと言われようがしっかりと保つべきである。また、これも青臭いという批判を敢えて受けてもいいが。その正当な権利を主張するためには闘うべきなのではないか。


 di700a_180px.jpgもちろん、部下も我儘を言えばいいというものではない。だが、このCMの場合だったら上司も言い方は配慮すべきだろう。立場上、ただでさえ威圧的になるのだから。。まぁ、北川景子さんには罪はないのだが。

 この欄でも取り上げた、本多静六という人間の修身的な自己啓発本が何故、まだまだ人気だし、復刻版の本が出版されそこそこ売れているのか。内容は正直、古臭いものだ。それは、シンプルながら常に原理原則を語っているからだ。

 どんな誤魔化しても原理原則というのは、意識すべきであり、いざとなったらそれを原動力に戦ってもいいのではないか。

 そういう意味では、ストロボメーカーのニッシンジャパンの販売戦略というのは、実に気持ちが良い。通常のメーカーのように、量販に数を流し売上を上げる、という方式はとらない。自社サイトでの直販のほかは、じっくりとセミナーやワークショップを販売拠点となる店と組んで開催し売っている。ストロボを撮影に使う楽しさをゆっくりと広めて浸透させて各店の顧客も育てるお手伝いをしながら、地道に販売しているのだ。そのために、一気に販売店舗を増やすことは難しい。認識は共有しないと販売契約も結べない。だが、本来、企業の使命というのは何だろうか。もちろん、利益をあげるのは大きな役割ではある。しかしながら、商品やサービスを供給して人の幸せを図る。そのうえで、利益を得ていく。これも原理原則と言えるのではないか。儲けるだけの存在ではないはずだ。そういう意味で、ニッシンジャパンの在り方は、原理原則にのっとったものとして非常にすごいと思う。

 まさに、ニッシンジャパンは原理原則を貫きストロボを売る闘う企業、なのだ。

 しかし・・本当に原理原則は大事だよなぁ。最終的には、これを貫くとシンプルにうまくいったりする。酒だって、酔うために呑むのか、楽しむために呑むのか、というと・・。やはり、酔って楽しむために呑むのだ。その機会を平等に供給するために、安酒場も存在するのである。