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ケンコー・トキナーのZXプロテクターは固定観念をも透過させるフィルターだ

 この欄でも何度も書いたと思うが。敢えて繰り返す。何故、世間はこうも固定観念に縛られているのか、ということだ。

 もちろん、それが無害なことや逆にメリットになることであればいい。例えば、近眼の人間は老眼にならないという事例だ。これは、医学的なことは調べたことがないのでよくわからないが、正直どうだっていい。近眼だろうが、老眼だろうが見えにくいことには変わらない。血液型の話などその最たるもので、○型だからどうだとか、勝手に推測しているが、そんなことは思うほうの勝手であり、適当にやってくれればいい。個人的な見解を言うと、では世の中、同じタイプの人間が腐るほどいることになるのではないか、と疑問に思っているだけだ。

 ZX_PROTECTOR_82MM.JPGもっとも、これら固定観念というものの仔細をみると、個人個人の思い込みに基づいていることがわかる。もし、一人ひとりが思い込まなければ、『そういうこともあるだろう』くらいで頑なに主張したりはしないのだ。その好例が、ゾウに関する話だ。有名な話である。子ゾウの頃から、杭につないで飼っていたゾウは、成長しても何故か杭に繋がれたままでひきちぎろうとしないというのだ。その頭の中では、この杭は自分の力では絶対に壊せない、と頑なに思い込んでしまうからだ。ちょっと、力を出せばもはや壊すことが可能なのにである。話しが逸れるが、その点、犬のほうが凄いもので。昔、子犬から育てていた犬が、成長するにつれて簡単に檻を飛び越え、さらには家そのものからも軽々と脱出して、自由の彼方へ消えてしまったことがある。まぁ、数ヵ月後に平然と戻ってきたのだが。固定観念に縛られない、その行動には感心した。

 話を戻す。この固定観念による自縄自縛というのは、個人の能力にも言える。○○が苦手、と本人が思い込んでいるものも意外に根拠がなかったりする。以前に、そのことで失敗し恥を書いた経験が一度あっただけで、そう自分の中で確信してしまっていたりするのだ。例えば、運動が苦手と思い込んでいる人もいるが、たまたま小学校かなにかで駆けっこが遅かったとか、だけだったりする。それで、諦めぐせがついて運動を敬遠するようになれば、体力もつかないし、それは苦手になるだろう。例えば、スキージャンプの高梨沙羅さんなどは、あれだけジャンプで記録を出していても、他の運動競技は極めて凡庸と本人が語っていた。体育の成績もずば抜けていたわけではない、と。だが、誰がどうみても彼女の運動能力が並とは思わないだろう。つまり、そのことに取り組めば、能力というものは伸びていくのである。一般レベルで言えば、限界などはない。

 いずれにしても、このように根拠のない固定観念でもって、勝手に自縄自縛になるほど馬鹿らしいことはないということだ。

 ところで、写真用品である。ケンコー・トキナーがこのほど、ハイグレードなフィルターであるZX(ゼクロス)プロテクターを発表した。新たなテクノロジーであるフローティングフレームシステムというのを採用しており、これにより4K、8Kの超高解像度カメラにも対応する。まぁ、技術的な面はケンコー・トキナーさんのサイトなり、オーソリティの方々の解説を参考にして欲しいが、ともかく画期的な高性能なフィルターなのである。

 このフィルター発売にあたって、こちらがもっとも印象深かったのは、これまでの固定概念を突き崩す販売を考えているところだ。即ち、従来からのフィルターと言えば、良い新品のレンズなりレンズ一体でハードを買った際に、添付アイテムとして強力な商材と言われていた。実際に、販売する側もそういう捉え方をしていたわけだ。

 だが、今回の製品は、良いレンズが出るから売れるという発想ではなく、既にユーザーが持っているレンズにつけているフィルターを替えるための製品としての側面を打ち出している。

 だいたい、レンズを買ったときにフィルターもというのは、誰が決めたのであろうか。フィルターは刀の鞘のような従物ではないのである。あくまで、単体としての価値の主張をしてもいいのだ。敢えて言えば、名庭の中の由緒ある岩や石灯籠でいい。自分の価値も独立物として主張していいのである。このことを前面に出してきたのが、非常に衝撃を受けた次第だ。

 まさに、ケンコー・トキナーのゼクロスプロテクターは固定観念など吹っ飛ばすフィルター、なのだ。

 しかし・・本当に凄いよなぁ。だいたい、ケンコー・トキナーでは始めてトキナーのキャッシュバックキャンペーンにも着手している。この企業、新たなスタートの方向性だ。変化を恐れない企業や人は、永遠にトップを駆け抜けられる・・か。

ケンコー・トキナーのゼータスーパースリムは得意な光学技術を突き詰めた保護ガラスだ

  人間、頑張るのをやめれば何事もスムーズに行くようだ。

  とかく、人は頑張りすぎる傾向が強いと思う。○○をやらないといけない、とか。まずは仕事だから、とか。だが、やればやるほど憂鬱になったりとか、常に睡魔と戦っているような対象が本当に、その人間にとって素晴らしい対象だろうか。そうは思わない。だいたい、本当にお金もついてくるのかなぁとも思う。

 なるほど、義務をきっちりとこなせば、その分の見返りはある。特に労働に対しては報酬というものがある。だが、考えてみてほしい。いつまでたっても、それは行った行為を時給換算したものしか与えられないということだ。いや、スムーズにしたところで、一定の枠組みで動いているのであれば、効率化が図られるという効果があるだけである。それ以上はない。ましてや、年がら年中あくせくしているのだから、新たな動きを構築したり発想したりする余裕はないだろう。だから、そのままのアクセクと一定だけのものがずっと続くだけである。これでいいならいい。だが、より発展したいなら、思い切って余裕を作るしかない。時間的にも精神的にも余裕を作って新しい発想を練るべきだろう。

 SuperSlim_PK_image_300_170x170.jpgで、その新しい発想をする場合に大事なのは、好きなこと、楽しんでやることのみをやることだろう。好きなことなら、睡魔にも襲われないし、だいたいやる気がでるから発想も思い浮かぶ。ちょうど、我が子の成長を楽しむようなものだ。全力でサポートする気も出てくる。本当の意味での効率も生まれるし、工夫もされていく。

 だいたい、義務をこなそうという人は、生真面目なタイプが多い。人間的には、良い人、である。で、頑張りすぎて体調や精神を病んだりしてしまうこともある。いっそのこと、頑張るのをやめてしまえばいい。繰り返しになるが。それで、好きなことを好きなように楽しんでれば、きっと余裕やワクワクから来るパワーが生まれるし、得意なことなんで自信もでる。結構、良い感じになると思うのだが。。

 と、こう書くと。世間であふれるビジネス書のような教えと勘違いするパターンがあるかもしれない。もちろん、そんなものではない。あの種の本だと、だいたい人脈を作れ、とか、SNSを駆使しろ、などと書いてある。確かに、人脈は重要だし、SNSは大いに利用すべきだろう。だが、どうしてもそういうのが向いてないというか、嫌いな人間もいる。例えば、不特定の人と会うのが苦痛な人間に人脈を作れなどというのは、地獄に叩き込まれるようなものだ。そういう人にも、その人間がやりいいような楽しめるような方法論でいいのだ。

 頑張るのをやめて、好きなことを好きなようにやって楽しんでいれば、結構うまくいく。その際には、本当の意味で頑張るのをやめるということだ。自分の方法論に徹していればいい。そうしないと、真から楽しめない。

例を挙げると、格闘家の青木真也という人は友達を作らずに我が道を行くタイプだが。そういうのが真の自分のスタイルならそれでいるのが素晴らしいのだ。

 ところで、写真用品である。前回は、銀一のGRAMASというデジカメ液晶保護ガラスの高品質さを書いたが、同じようにケンコー・トキナーからもゼータスーパースリムという保護ガラスが出ている。これは、光学メーカーであるケンコー・トキナーの矜持を感じさせるような高品質さだ。硬度が高く、そのわりには薄さにこだわったハイレベルな商材である。これも、上位機種を使う人には必携のアイテムだ。

 まさに、ケンコー・トキナーのゼータスーパースリムは自らの得意を貫き透過させた保護ガラス、なのだ。

 しかし・・本当にそうだよなぁ。。一度、開き直って人は好きなことをやりたいようにやってしまえばいいんだよなぁ。。こっちだって、今度の週末はまともな濃さの水割りだけを頼むことにするぞ

GRAMASは素直に高品質なデジカメ用液晶保護ガラスなのだ

 人間、素直になれば意外にラクに生きられるのではないかと思う。

 グラマス.jpgもっとも素直という概念は難しい。ただ、単にやりたい時にやりたいように、というのは個人的には好きな境地だが、これは素直とは言わない。ニュースで、普段は山に住んでいて金がなくなると、降りてきて強盗を働いていた人間のことが出ていたが、あれは素直というよりも動物的というところか。また、言いたいことを言う人間もそうだ。もちろん、時と場合によるが、めったやたらにそれをすると、社会的にどうかと思われる。ただし、本人が覚悟を決めてやっているなら大いに結構だが。。

 ともかく、素直といっても捉え方によって様々だろうから。ここでは、自分の気持ち自体を誤魔化さないという定義を置いておく。これをできるのとできないのとでは、生きていく上で全然気分が違う。

 いや、別に難しいことではない。例えば、対人的にすぐに落ち込みやすい人間がいたとする。では、彼もしくは彼女はなんで落ち込んでいるのか。仔細に観察してみると、事実にあたること自体・・例えば、何かに失敗した、とか。できなかった、とか・・に落ち込んでいるのではない場合が多い。実は、その事実によって人から批判されたり馬鹿にされたりといった可能性に落ち込んでいるのである。だから、彼もしくは彼女が問題にすべきは、人の目を意識するという心の動きである。事実だけなら、経験として記憶しとく程度でいいはずだ。

 だから、落ち込みそうになったら、また人の目を気にしているな、と思ってみると、意外に冷静に自己客観視できて気分的に助かったりする。

 さらにいえば、この人の目を気にする心理の奥には、自分が素晴らしいと思われたいという気持ちが横たわっている。なぜなら、もともと自分は大したやつではない、と心から思っていれば人から何を言われようが気にならないし落ち込みようがないはずだ。だから、本当は『自分は素晴らしいと思っている自分』を意識したほうがいい。

 これは、逆に考えれば、自分に自信が持てないという人間には特効薬になりそうだ。論理をなぞると、自分が心底最悪だと思う人間であれば、自分に自信をもとうなどと思わないから、悩みはしない。実は、自分は凄い、素晴らしいんじゃないかと思っているから、そう評価してくれない世間に対して恐怖を覚えたりする。つまるところ、自分に自信がないどころか。自分が自分を一番評価しているのだ。だから、複雑なこと考えずに、自分は素晴らしいんだなぁ、すごいんだなぁと実感すると、心もスッキリする。他人の評価など、この点に関しては関係ないのである。

 常に自分の心に素直に過ごす、これは結構ノーストレスだろう。

 ところで、写真用品である。業界の人間なら知っていると思うが、銀一が10月デジカメ液晶保護ガラスであるグラマスの店をオープンさせる。グラマスは単なる液晶保護ではないか、と思われがちだが。実は、これは凄い製品ななのである。最強クラスの表面硬度と透明度に優れている。エッジ部分は、ひとつひとつ手作業で作業した加工を施し、丸みを持たせて安全性を確保している。カメラを新調した時でもそうでないときでも、直感的に付属で買える商材だろう。

 まさに、GRAMASは素直に高品質な液晶保護ガラス、なのだ。

 しかし・・本当にそうだよなぁ。自分はもともと自分が素晴らしいと思っているのだ。自分は誤魔化せないということなのだ。ということは、こちらも心から自分はハイボール好きということだ。そうだ。それなのに、より薄めた安いものを呑んだりして自分を誤魔化していたのかも・・。奥が深いよなぁ。。

ベルボンの三脚ケースは固定観念をも包み込んでしまうのだ

 何度も書いてるかもしれないが、やはり固定観念などはぶっ壊した方がいいと思う。

 固定観念があると、どう考えても人生窮屈である。それによって人を見ることになるから、人に対しても常に攻撃的になる。困ったものだ。固定観念なぞないと、人にも優しくなれるし、逆に自分の固定観念を押しつけてくるような人間に対しても、平常心で闘える。

 rollercase840_0480.jpgだが、ここで問題がある。よく壊すというが、やるからには徹底してやらないと似非社会に逆に利用されるということだ。たとえば、今の女性の社会進出云々の話だ。なるほど、実はまだまだ男性社会という中で、女性はさらに活躍すべきだろう。これまでの固定概念も崩した方がいい。だが、その一方で政府はそれを必要以上に煽り立ててる気がする。何故か。穿った見方だが、年金の財源不足や税収不足を補うための配偶者控除見直しを念頭に、まずは女性も働くのが当たり前という風潮を作り上げようとしているのではないかという気がしないでもない。中途半端に、概念を破って女性パワーをなどと言ってると、うまく乗せられるのではと思ったりするのだ。

 これは、憲法改正を巡る議論でもそうだ。素人なので好き勝手に言わせてもらうが。本当に今の憲法が民主的なのか。考えてみてもいいと思う。要は三権分立のそれぞれの機関が抑制しあってバランスを保っているのだが。では、民主的でないという大日本帝国憲法はどうか。実は立憲主義のもと実質は三権分立が成立していたことがわかる。こういった部分を無視して、今の方が明らかに民主的だ。帝国時代に戻すのか、と一方的な議論をするのはどうだろうか。

 固定観念は壊すべきだ。だが、壊すなら徹底的に壊した立ち位置で行くのが良いのではないか。

 ところで写真用品である。このほど、ベルボンから三脚ケースが3種類発売された。ちょっと取材してわかったのだが、三脚ケースほど固定観念が覆されて使われてるものはないのだ。もちろん、三脚は入る。あと、一脚を複数入れられる。さらに、フィギュアだって入る。サバイバルゲーム用の銃だって入るのだ。話が戻るが、本家本元の三脚用でも、拘って人が多く単品でも結構売れるのだ。販売店は、これを見逃す手はないだろう。

 まさに、ベルボンの三脚ケースは固定観念でさえ収納してしまう、のだ。

 
 しかし。。本当にそうだよなぁ。ベルボンの開発精神は常に柔軟だよ。広報担当のマタさんの腹回りの柔らかさに表れてるよ(^^)

ヒラノカメラのカメラケースは渋い魅力で包まれている

 前回の本欄では、人の器は変わらない。それなりに行くのがいい、と書いた。だが、こちらのように小器の人間でも何とか自分なりの成功は掴めないのか。

 その可能性を、あくまでシュミレーションの一環として考えてみたい。

015019000003.jpg 結論から言うと簡単である。一番になりたい。成功したいと思わなければいい。どうしたって大物にもトップにもなれないのである。それなら開き直って、ごくマイナーな部分でちょっとだけ頭を抜けるという程度を目指すことだ。このちょっとだけという程度だ。調子に乗ってマイナーでトップなどと思ってはいけない。そっちはそっちで大変なのだ。

 大学受験なら日東駒専というラインがあったら、その中でもちょっと良い学部を目指すか。そのラインより、ほんの少し良いと言われてる別の大学を目指してみるのである。これなら、小器でも努力次第だ。売上なら、決まったエリア内の4番手程度に入るようにする。この辺りが重要だ。

要は渋いあたりに着けるようにする。ロングテールの尻尾の瘤くらいだろうか。これになるのだ。

 あとは鈍感力だろうか。多少の。。だいたい完全主義に陥っても仕方ない。アバウトで突き進むのだ。仮にうまくいかなくても、もともと渋いラインを狙ってるのだから、多少狙う分野を変えても転換はやり易いはずだ。無理のない投資をしてるのだから。。ものの本によると。宝くじに当たる確率よりも、1人の人間が交通事故にあう確立がずっと高いらしい。厳密に考えたら、宝くじを買うために外出などできないはずだ。

それでも人は平気で宝くじを買う。自分にとって利益のあることにあう確率が高いと思い込んでしまっているのだ。だが、これこそ人間本来の鈍感力のはずだ。こういった人に備わった力を思い出して欲しい。

多少の鈍感力を持って渋い勝ちを狙って行く、これだ。

ところで写真用品である。ヒラノカメラケースというのがある。誤解のないように言っておくが、ここの商材はメジャーなラインの本格的な高品質のものだ。本革を使っており、コアなファンが多い。だが、手作りであるが故に、大量の生産は無理だ。だから、マーケットでは渋い売り出し方となる。周りがもっと作って流せといっても、あくまで品質第一にコツコツと手作りしていく。雑音に迷わされない良い意味での鈍感力があるのだ。

 まさに、ヒラノカメラケースは渋い魅力で包まれている、のだ。

しかし。。ホントにそうだよなぁ。渋く勝つだ。隣で水割り焼酎を呑んでるから、こちらはロックで呑むぞ[exclamation]