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テイクが販売するフレシキブルLEDは柔軟なデザインで映りは鉄壁な機材だ

 ともかく自分の果たした鉄則さえ守ればいいのではないか、と思う。もっとも、これはポリシーのような大げさなものでなくてもいい。あくまで自分独自のルールという概念である。もっと言えば、世間で言うところの信念やポリシーを構成させるもともとの考えと言うべきか。それさえ持っていればいい気がする。

 例えば、弁護士稼業である。よく『伸び縮する正義感が大事だ』などと考えられている。これなど、まさにそうで。その場のポリシーなどは関係ない。その根底に流れる、法律で食っていく。あるいは人に法律知識を提案する、というのが大事なのだ。そのためには、その場の態度など、それこそ法律に触れなければ、依頼人によって変えても差し支えない。まぁ、批判するような人々もいるだろうが。そんなことは気にすることはない。

 このおおもとの鉄則が大事なのだ。

 歴史上の人物では、ポリシーではなく、この鉄則を持っていた人は結構多い。特にそれが鮮明になるのが、戦国時代とか幕末とか、動乱で人の本性が出る時だ。

 テイク.jpg例えば、伊達政宗だ。わずか23歳で広大な領土を獲得した彼だが。先祖は言わずと知れた鎌倉時代からの名門の家柄だ。彼は順調に地盤を固めていたが、やはり中央で大勢力だった豊臣秀吉が台頭した際は屈服せざるえなかった。いや、正確に言うと中央で混乱が起こっている隙に乗じて、近隣を攻めまくり領土をジワジワと広げていたのだが。その後、政権を握った秀吉の勢いには抗しきれずに、仕方なく臣従。だが、陰に回り、地方一揆を扇動したりして、領土拡張を諦めずに行っている。その後に、徳川家康が政権を掌握しても、関ヶ原など戦が起こるたびに、その機に乗じて近隣を攻め落として領土を広げている。

 彼の場合は、どう考えても信念などなさそうだ。民の平和など馬鹿馬鹿しい。ただし、行動に一貫して流れる鉄則はある。それは、なんとしてでも領土を広げて、鎌倉以来の奥州統括としての立場の復活であった。そのためには、豊臣につこうが、徳川につこうが裏切るし、父親も敵もろとも鉄砲で撃つし、弟も殺す。ともかく、鉄則のみ守ったのだ。

 さらに、もうひとり挙げると、藤堂高虎だ。彼の場合は主君は7度も変えている。節操がないのだが、一貫して守っていた鉄則は、ずばり『保身』である。しかも、保身と思われないように保身する。羽柴秀長親子が死したあとは、霊を弔うと称して、高野山にこもっているが。それが、一面非常に無邪気な秀吉を感激させて、呼び戻されて大名に取り立てられている。これは、謙虚さが買われたのだろうが。後年の彼の行動を見ると、どう考えても計算ずくだったことがわかる。だいたい、明に攻め入ったときに活躍した事は多くの人が知っている。必ず、惜しい人材ということになるはずだ。予定行動だったのだろう。その後に、彼は家康の世の中だと思うと、あっさりと鞍替えする。さらに、徳川が政権を取り、自分のような外様がリストラの対象になっていると知ったら、今度は後継者が無能だと言って、これでは家康様のお役にたてないから、自分の死後はリストラしてくれと自ら願い出ている。苦労人で油断ならないオヤジの家康も寄る年波ということもあり、これを信じた節がある。かえって、遺留されて実質的な身内のようなポジションを手に入れている。

 彼の行動に一貫した鉄則は、ともかく『保身』である。そのためには、節操など関係ない。後年、幕末になり世の中で官軍側が有利になるとわかると、最初に幕府側を裏切って責め立てたのは、外ならぬ藤堂藩であった。さすがに『保身』第一の鉄則は子孫まで生きていたか。

 もっとも、これらとは逆のパターンもある。家康の幼少の頃からの付き合いのある鳥居元忠である。彼の場合の鉄則はズバリ、主君への忠義だ。身もココロも家康第一にして、他の同僚たちは気にせずにもらった秀吉からの官位も剛直に断っている。他の権力者など関係ない、というわけだ。最後は、死ぬことがわかっていながら捨て駒として城に籠り、壮絶な討ち死にを遂げている。忠義のみだ。それを貫くためには、自身が死んでもかまわない。

 この元忠に関しては、家康も涙を流したという。半分は本心かもしれないが、彼の性質を知ったうえで、この城を守らせたと思う。最後まで裏切らずに、持ちこたえて役割を果たしてくれるのではないかというわけだ。

 これら3人のうち、鳥居元忠はともかく、伊達も藤堂も今の感覚からすれば褒められたものではない。だが、一体、何が正しくて何が間違っているのだろうか。我々が考える感覚などは、せいぜい昭和と平成あたりの道徳概念だ。一定の基準など意味がないのではないか。

 要は、それぞれが鉄則を定めて、あとはその場で好きなように表面的なルールは変えて生きる。それが重要なような気がする。

 ところで写真用品である。最近、放送機器展であるインタービーに行ったのだが、変わらずに照明機材というのはメインをなしていた。その中で、ちょっと変わったものがあった。テイクから提案されていたフレシキブルLED照明のFL-600と、その新バージョンである大型の同1200である。フレシキブルということで、丸めたり変形させたりできるマット上の照明である。しかも軽量で実に使いやすい。ただし、色温度も選べるし、赤味もきっちりと表現させられる。防塵防滴でもある。物撮りするデザイナーなどにも重宝されており、気軽で柔軟だが、実は色再現をきっちりとしている商材なのだ。この製品の場合は、ライティング機能の良さを鉄則にしており、あとはフレシキブルというわけだ。

 まさに、テイクが販売するフレシキブルLEDは柔軟なデザインだが素晴らしい映りを貫かせる機材、なのだ。

しかし・・本当に鉄則があればいいんだよなぁ。。この前、ハクバの広報のイトーちゃんと呑んだときにつくづく思った。彼は、ゆっくりとだが着実に杯を重ねていたのだ。酒の席では呑むという鉄則を守る人物なのだなぁ。。

PQIのスマホ動画用USBメモリーInsta Shotはシンプルさゆえに強さと郷愁がある

 最近、原始思考への回帰ということを聞くようになった。トランプ候補の当選ということもあるが、凡人にとっては定見を否定するようなことが起こっているからだ。そういう時代にこそ、原始に立ち戻ったような思考が相応しいというわけだ。生き残っていける。

 pqi.JPGもっとも、定見を否定といっても、ごく凡人のことである。トランプ候補の当選だって、きちんとニュースサイトをチェックしているようなグローバルな頭脳の人々には驚くにあたらないことだったらしい。だが、まぁ、こちらは本欄でも書いたことがあるが、正真正銘の小器の凡人である。やはり、原始思考が有効なのだろうという結論に達した。

 では、原始思考とは何か。これは、人によってイメージの違いがあるだろうが。一応は、モノをこねくり回さずにシンプルにしたたかに考える、ということらしい。こう考えると、確かに強力な思考ということになる。

 この、原始思考は、いろいろなことに通じたりもする。

 例えば、この欄でも触れている憲法問題だ。シンプルに条文を読むと、自ずと現状では何を指し示すかわかるし、解釈など意味がないこともわかる。で、それを貫ければいいが、無理なら改憲しかなくなる、となる。ダイエットは難しい、などと言われる。が、要は食べる量を目にみえるくらいに減らして、運動をすれば体重は普通に減る。代用食のようなものは考えなくていいのだ。さらに、受験生は勉強をすれば、ある程度成績があがるのが当たり前であって、それ以上になると同じくらい努力している人同士の競争となり、勉強方法だとか運に左右されるだけということになる。また、昔の司法試験だと、大学を終えても法律事務所などでバイトしながら受け続けるパターンが多かった。が、働く時間があったら勉強すればいいのであって。働かないで勉強ばかりしている人物の方が早めに合格する。この場合、働かなくても最低限の生活は保証されているということだから。何らかの援助がある環境のほうが受かりやすい。もっとえげつなく言うと、金持ちの家の子弟のほうが受かりやすい環境にあるということだ。痩せたソクラテスでは、司法試験など受かりゃしない。。

 ともかく常にシンプルに考えてみよう、というわけだ。

 そう言う意味では、このほどメモリーメーカーのPQIジャパンから発売されたスマホ動画などで威力を発揮するメモリー「Insta Shot」は非常に原始的な雰囲気でわかりやすい。無料のアプリをダウンロードすることで、SNSへの動画投稿などがやりやすくなったり、編集作業もやりやすい。こんな便利そうなものだが、本体自体はあくまでもUSBメモリーである。このシンプルな機能性と、昔のレトロカメラを連想させるような合皮を巻いた本体デザインやらケースやらが郷愁もそそる。かなり、面白い製品だ。

 まさに PQIのスマホ動画活用メモリーのInsta Shotはシンプルさに郷愁を持つ製品、なのだ。

 しかし・・本当にそうだよなぁ。何事もシンプルがベストだと思うよ。このところ考えるのは、何故ハイボールを飲むのかだ。シンプルということであれば、ストレートがいいはずだ。そうだ。山で遭難したときは、助けられた遭難者は、取り敢えずウイスキーを呑ませると聞いた。なんてワイルドな原始思考だ。今日から、ストレートで行くぞ。。休肝日を考えながら・・。

ベルボンのロングポールは常識や定見をも突き抜けるポールだ

 このブログでも何度か書いたが、やはり人は変化したがらない・・はずだよなぁ。

 これも、ここで書いたが。人の脳は一定の状態を維持したがる傾向がある。たとえ、それが客観的に見て不愉快な環境でもだ。。の、はずだよなぁ。。

 今年に入ってから、こう考える前提を覆すようなニュースが数々飛び込んできた。まずは、英国のEU離脱である。不満はあるにしても、きっかりとまとまっていたEUの一員としての地位を捨てようとは思わなかったはずだ。が、現状を変えることを選んだ。

 さらに追い討ちをかけたのが、トランプ勝利である。過激な言動で知られる同氏に対して、クリントン候補は面白みのないようなことを言っていたが、それでもオバマ時代とそれほど大差ない路線で承継しそうであった。進むとしても、漸進傾向だったろう。だが、人は思い切った変化のほうを選んだのだ。

 3mポール.JPG人は変わりたがるものなのか。思っていた認識が崩れた。だが、よくよく考えてみると、これらの変化にはひとつの傾向があることが理解できた。即ち、どちらも変化を選んだものの、より保守的な方向への変化を望んだということだ。まず、英国に関しては、膨大な数の国外からの人口の流入にも悩んでいたという要因もあるだろう。改めて、英国は伝統ある大英帝国として立とうという感じではないか。一方、トランプ候補勝利に関しては、より鮮明だ。彼の場合は、ある種のモンロー主義を抱いていると言われており、移民を減らし、自国内の自国民対象の雇用を増やし、海外の基地関係の費用は、その国に負担を求め。拒否すれば、基地を撤退させる、と。これは自国を守ろうということで、ある意味、徹底した保守主義でもある。

 だから、人は変化を望まない。が、変わるとしたら、より保守傾向に変わる、のか。

 と、ここまで考えたところで、しっかりとした結論は出なかった。というか、考えるのが面倒になりバカバカしくなったのだ。ともかく、いろいろな事象を通じて理解できたことは、自分の常識や定見などに縛られても、全く意味をなさない、ということだ。考えてみれば、一人の人間の経験や知見など、対して深くもない。そういうものに縛られても仕方ないのだろう・・。ただ、行くのみか。

 ところで写真用品である。こちらの狭い知見や定見などの上を遥かに行くのがベルボンだ。通常、ベルボンと言えば、本格派の三脚のイメージがある。だが、新製品として発表した「ロングポール」はどうであろうか。もはや、三脚とは言えない。手軽に高所からの撮影を楽しめるし、ドローン風の画像も撮影できることになる。監視カメラのための機材としても使える。文字通りに突き抜けた商品だ。これまでの、ベルボン=本格三脚メーカー、という定見をブチ破る商材なのだ。

 まさに、ベルボンのロングポールは常識をも突き抜ける撮影ができるポール、なのだ。

 しかし・・トランプ勝利には本当に驚いたよなぁ。。と、ショックを受けてベルボンに取材に行ったところ、それを上回る驚愕が待っていた。なんと、会社に入ったら、俳優の山田孝之が居たのだ。何故、ベルボンに・・。もしか、イメージキャラになったのかと思っていた。が、さらに衝撃だったのだが、よく見たら広報担当のマタさんだったのだ。以前から、ダイエットしたら、もしかしたら山田孝之風かもと思っていたのだが、山田孝之そのもののようになるとは! これは、インタービーのベルボンブースは人だかりだな。

イルミネーション撮影用のフィルターは闇の中に光を呼び込むのだ

 闇と光はひとつのものだという。だが、本当にそうだろうか。それは、多少の闇は仕方ないが、どんな状況だろうと、できるだけ光を当てたほうがいいのではないか。シンプルに考えるとそうなる。誰だって、基本的には闇より光のほうが好きなはずなのだから。

 ケンコーが蔵王.JPG憲法公布70年を迎えた。しかし・・憲法を取り巻く様々な意見には闇の部分が多いと思う。

 以下、こちらはどうせ無学な素人だとわかっているし、ここは個人ブログなので好きなように書かせてもらう。

 まず、気になるのは解釈憲法により自分の都合の良いように考えていこうとする意見だ。正直、憲法9条のどこをどう読んでも、戦力は持たない、戦争はしない、と書かれてある。どんなに偉い人達が意見をこねくり回したところで、普通に日本語を読めばそうなる。いや、それでも様々な解釈の余地はある、と言う人もいる。だが、憲法は法律とは違うのだ。運用の余地を残すようなものではない。それを解釈で何とかしようという意見は、わかっているのに敢えて、そういうことで辻褄を合わせようとする欺瞞以外の何者でもない。

 だから、武力で侵略されたら、(シンプルに憲法を読むと)交戦することができないのだ。ただし、武力を用いないのであれば、自衛のために抵抗することはできるだろう。が、これでは何ら意味をなさない。偉大なるガンジーのような信念の持ち主ばかりではないだろう。

 だが、それでも解釈云々などと言っているのは、どう見てもグレイな意見だ。

 もちろん、この憲法が公布された当時と比べると情勢は変化している。どうしても、武力を用いた自衛権は必要だ、というのなら、もはや憲法の条文そのものを変えればいいのだ。くどいようだが、解釈で表面的に何とか繕おうとするのであれば、それは大人の判断でもなんでもなく、グレイがかった闇の判断だろう。それがどうしても無理だから、と言うのなら。法律のほうで何とかして運用を考えればいい。もちろん、憲法に違反しての法律は成り立たないが。。憲法改正にまつわる議論というのは、こちらのような浅学非才の人間には理解に苦しむ。問題はシンプルなような気がする。

 ちなみに、この法律で何とかするというのは、ある意味、非常に現実的ではある。ちょうど、闇は闇で受け入れて、せめて、その中で光を目立たせるみたいな感じだろうか。

 ところで、写真用品である。これから、イルミネーションの季節になるが、そうなると撮影の際に活躍するのがフィルターである。特にクロスフィルターということになる。これを展開しようと、用品メーカー各社は浸透させている。このうち、マルミ光機では独自の商品にさわれる販促物を予定している。さらに、ケンコー・トキナーでは、クロスだけではなく、闇夜の光をにじませ、さらに敢えて霧がかった雰囲気を演出するような商品を提案しセミナーで広めたりしている。まさに、闇の中で光を強調するというのが、フィルターの狙いであり、商品の売れ行きにも期待したい。

 まさに、クロスフィルターやソフトフィルターは闇の中の光を際立たせる存在、なのだ。

 しかし・・本当にそうだよなぁ。まずは、憲法が元なのである。要は、飲み屋に行ったら、まずはビールを頼むというのが運用次第で変わる法律なら、飲み屋に行ったらともかく酒を呑むというのが憲法なのだろうなぁ。。やはり、日本国民として憲法は守る必要があるので、今日も呑まないといけない。。