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KPIの高級バッグ発売は素晴らしいチャレンジだ

 負け組と言うと、当然ながらマイナスイメージがある。だが、こちらはそうは思わない。
 むしろ、負け組だと堂々と言えるのは大したものだと思う。何故なら、少なくとも懸命に戦ったということだからだ。堂々と懸命に戦う。そのあとの結果など、運次第だ。大したものではない。それは批判する奴も居るだろう。だが、傍らで見てる奴の言うことなんぞ気にしなくていい。

 問題は戦いもしないケースだ。それでも、戦わないことを自己の弱さ、怠惰さと認識しニヒリズム的に居るなら、まだいい。最初から高み的な立場にたって無自覚に批判するのは最悪だと思う。

 だから、ともかく自分の手でやってみることなのだ。これは業界紙のほうのコラム欄にも書いたのだが、今の専修大学の前身である旧制専修学校を立ち上げた4人の若者がいる。彼らなど、まさに先が見えないのにチャレンジし戦った典型だろう。当時は何しろ、恐ろしいことに日本語で法律を学ぶ場がなかった。帝国大学は英語の授業だったし、司法省の学校はフランス語のみだった。日本人が受ける授業なのにだ。ちなみに帝国大学は、数学の講義もそうで。このために、あの正岡子規など中退してしまった。これでは、おかしい。当たり前のことを当たり前に考えて4人の海外留学帰りの若者らがチャレンジしたわけだ。この精神は凄い。

もっとも、彼らはたまたま今に残る学校を作れたのだが、同時期にチャレンジし創立された学校の中には、残らなかったところも多い。また、反骨のジャーナリストが作ったある学校などは、今に高校として残ったものの、いわゆるヤンチャ系の生徒が多く。別の意味で反骨精神を発揮してしまっている。

だが、どんな結果になろうと。戦ったということは重要なのだ。チャレンジだ。

ところで、写真用品である。KPIというプロ機材系の会社が、このほど一般的にも使えそうな高級バッグを発売する。これは、チャレンジだ。戦いを挑んだわけだ。マンフロットのフィルターといい評価できるだろう。

 まさに、KPIが発売する高級カメラバッグはチャレンジの象徴だ。

しかしチャレンジだよ。今回のフォトネクストだって批判も出てくるかもしれないが。少なくとも、ネクストを提案してもらう場を提供してるのだ。素晴らしいと思う。こちらも、いい加減、チャレンジしないとなぁ。

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よしみカメラの忍者レフはレフ板の枠を超えたレフ板だ

 レッテル張りというのは、全く意味をなさないだろう。
 もはや、あらゆる概念は固定化できないのだ。いや、もともと固定したレッテルを貼れるというのは無理があったのだが。適当に安心したいがために、レッテルを貼るという作業を延々と繰り返していただけである。例えば、正義、ということを振りかざす人間は多い。が、日本で言えば戦国時代には、今ある正義などは意味のない概念だったはずだ。

もっとわかりやすい例を挙げよう。このほど、性犯罪についての改正刑法が成立したのだが、これまでの強姦罪の名称を強制性交罪に改め、加害者は男性、被害者は女性という規定を撤廃したのだ。つまり男でも強姦の被害者になるということ。これを法律が認めたことになる。こんなことは、一昔前の頭脳であれば、ついていけないことだろう。

まぁ、この事からも理解できるように。法律は堅苦しい固定的なものではなく、世の中の実情を汲むものであることもわかる。汲めない流動的な部分は、解釈の範囲で適用できたりする。法律は冷たいものではなく、面倒見の良いものだというレッテルを覆すイメージが成立する。

これは現代の事象にも当てはまる。某新聞社のコラムに、イクメンという言葉に関して、男は育児に参加しないという概念があるゆえの言葉、とあった。本来、家事育児などは夫婦で手が空いている方がタイムリーに行うべきだ。そんなことは男女同権の世の中では当たり前だ。それを女性の配偶者が行うという固定概念があるからレッテル張りの言葉が生まれて、それをネタに非難されたりする。馬鹿馬鹿しい限りだ。

そういう意味では、よしみカメラの忍者レフなどは、レフ板という概念を崩すようなレフ板だ。ともかく軽量でコンパクト。電車、バス、飛行機などのガラス越しの撮影にも最適だ。

まさに忍者レフはレフ板の枠を超えたレフ板だ

しかし、よしみカメラさんの商品名のネーミングはいいなぁ。型番だけのパターンが多い用品メーカーも見習うべきだろうなぁ。

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トキナーのFIRINは時代の文化を活写するレンズなのだ

  文化とはなんだろうか。と言われても困るかと思うが。一応の小市民的な回答を述べるとしたら『その時代、時代の習俗である』などど、わかったようなわからないような回答をして誤魔化すのが小心者の特徴である。だが、ただひとつ言える確実なことは。文化というのはその時々に生きた人間が作り上げたものであることだろう。

フィリン.JPG もっとも人が作るもの、といったところで具体性はない。○○文化といった場合は、それを象徴するファッションなりモノが必要になる。例えば、戦時中の庶民の生活を表すものとしては、モンペファッションだったりする。当時の女流作家は、これが地味すぎるので自分たちの好みの色に染めて履いていたらしいが、ともかく相対的に節約ムード漂うファッションであった。もっと言えば、元禄文化といえば、絢爛豪華な狩野派の美術作品を思い浮かべる。いずれにしてもモノで体現されるということだ。これは逆に考えると、モノを見れば文化がわかるということでもある。もっと言えば、モノそのものを提案することで、その時々の曖昧なる文化を表現して明確化することが可能ということになる。

 そんな商品が、トキナーレンズのFIRINだ。このレンズが明確化したいのは、ずばり今後のミラーレス文化というものだ。ミラーレスカメラといえば、当初こそはフルサイズの一眼に対して、お手軽な品というイメージが強かったのだが。その後、幅広い一般カメラファンへの浸透とともに、もはや独特のスタイルを持つカメラ機材の一分野としての地位を確立しつつある。また、プロでも普通に使用する人も出始めている。そんな新たなカメラ文化を表しているのがFIRINである。マニュアルフォーカスで、大口径F2かつ広角レンズでありながらコンパクトな形状を実現。高画質ながら、お手軽でかつオシャレだ。

 実は、このレンズが昨年に発表された当初は、文化を明確化するほどのものだとは思っていなかった。ケンコー・トキナー主催の記者発表会に出たのだが、スペックの説明などを聞いていても、トキナーがマニアックなレンズを出した、といった感覚しかなかった。不才のこちらとしては。だが、このレンズ開発の背景にある文化を担うというストーリーを企画担当者に聞いたところ、こちらもようやく、このレンズの深さが肝にズシンと来た、といった感じである。ケンコー・トキナーでは、最近では動画によるPRなども行っており、この商品の背景のようなものをPRしている。かなり注目したい。

 まさに、トキナーのFIRINは文化を活写するレンズ、なのだ。

 しかし・・所属している業界紙のほうで、このレンズの取材の際に企画担当者と久しぶりに会った。FBなどの書き込みからも感じていたのだが、非常に該博な知識をもったグローバルな人材であった。久しぶりの取材なのだが、妙に熱気も伝わってきた。良い年の取り方をしてきた人だなぁ、とつくづく思った・・。

フォトネクストは写真撮影環境の変革を示す場となりうるか

 今回は写真用品自体というよりも、用品メーカーさん自体が多数出展するフォトネクストについて書こうと思う。というのも、所属する業界紙のほうの取材を通じて、改めて同イベントの根本的な意義のようなものを再確認したからだ。
 写真業界関係者であれば、みな感じてると思うが。もはや写真撮影を取り巻く環境というものは根元から変化している。スマホによる撮影が当たり前になり。プリントすることなくSNSにアップする。記念撮影の業務には衣装屋さんのような異業種が参入。3Dやドローン撮影など新しい概念のものが出現している。動画だって手軽に利用されている。

 こういった新たな流れが押し寄せるなか、もはや業界というものの従来からの常識は溶解している、とフォトネクスト主催者であるプロメディアの社長は指摘する。さらに、そういった状況で、新しい流れはこんなにある、視野を広くして意識を変えていこう、それを示すのがフォトネクストであるということだ。

 実は、これまで。フォトネクストというイベントに対して、こちらはコンセプトをつかみかねていた。昔のプロ機材ショーであるIPPFやラボショー、あるいは前身であるスタジオ写真フェアをトータルで合わせたものかとか。。もっとも、こう思っているのは出展社であるメーカーも同様だったようで、似たような疑問を受けるケースが多かった。なので、今回はダイレクトに主催者のプロメディアに疑問をぶつけてみたというわけだ。なお、プロメディアの社長は、さらにターゲットとして、まだ業界の常識というやつが染み透っていない、若手層も意識しているという。

世の中を変えるのは、中心となる層ではなく。よそ者、若者、思いきった行動をするよい意味でのバカ者だと言われる。そういう意味で、若者への提案を意識し、敢えてバカ者になって実行者となり、よそ者的な幅広い出展者を巻き込むフォトネクストは、業界の改革のための場となりそうな気が改めてする。ちょうど、若い外様藩の下級武士らが思いきって行動に出た明治維新の場のようにだ。

6月21日と22日は是非、パシフィコ横浜のフォトネクスト2017に足を運んでみるのをお勧めする