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サンディスクのメディアは売り方の容量も深いのだ

 物事のやり方、考え方、さらに言えば生き方などというのは本当に一通りでないんだな、と思う。
 最近、ちょっとした会合に出た。そこで、自分の好きなミステリーの本を紹介する場があったのだが、ある人物が写真集を持ちこんできた。その写真があまりにも何を狙って撮影したものかわからずに謎めいておりミステリーだと主張していた。一般的に言えばミステリーとは、我々は小説を連想する。だが、そうではないということだ。

業界で言えば、イストテクニカルサービスというカメラ修理会社は、修理した製品を売るなど、他の社が行っているような商売の幅を広げるという方法は取らなかった。敢えて自社の修理技術を高めて、プロカメラマン向けのサービスをメ二ューに加えたのだ。餅は餅屋に徹しようというわけだ。いろいろな行き方がある。

生き方で言うと、坂口安吾の堕落論などは…ポジティブではなく、徹底してドン底に自分を落としてから這い上がればいい、という独自の考え方で。これは特異だが強烈なパワーを与えている。

いずれにしても、いろいろな行き方がある。

ところで写真用品である。そういう点では、世の中がオンライン販売に進むのにサンディスクは店頭メインの姿勢を崩さない。写真店にとって頼もしい存在だ。さまざまな写真イベントも積極的だし独自の手法を貫いている。

まさに、サンディスクのメディアは売り方の容量も深い、のだ、

しかし、本当に独自はいいよなぁ。ストロボ専業のニッシンもライトスタンドを出したし。これからは人も企業も独自で行くべきだ[exclamation] こちらも最近は濁り酒にはまってる。
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ジャパンホビーツールのイージーカバーは盲点を突く装甲で売れるのだ

 盲点というのは必ずある。多くの人が子供の頃に読んだ怪盗小説では、厳重な警備の網をくぐり抜け、まんまとルパンが物を盗む。
 個人で名高いのはトロイ戦争で取りざたされたアキレウスの踵だろう。うっかり不死の水につけ損ねた踵の部分を矢で射られて死んだというやつである。まぁ、実際問題として踵を射られるくらいに接近されたら、既に敗北の状態だと思うが。それは、まぁいい。盲点の一例だ。

 あと、意外なのは現代海軍の主力艦であるイージス艦の脆さだ。イージスとは盾という意味であり、さぞや強い航空母艦と思いきや。装甲自体は極めて薄い。理由は簡単だ。現代の海戦は軍艦同士の砲撃戦ではなく、彼方の敵とレーダーで探り合いミサイルを撃ちあう形をとる。装甲は薄くして、その分、最新の電子機器を積んだほうが良いのだ。これも意外な盲点だろう。

だが、それゆえに、まさに盲点をついた事件が起こった。よりによって民間の貨物船と衝突して大穴を開けられ死傷者を出したのである。まぁ、これ自体は不幸な事故だろうが。もし敢えて計画的にこんな攻撃を仕掛けられたら脆いということだ。

盲点は常に存在する。だが、逆に考えれば。この盲点を突くことで、あっけなく人や組織は勝利するかもしれない。

ところで写真用品である。ジャパンホビーツールというユニークな用品を販売する企業がある。ここのイージーカバーというシリコン製のカメラカバーの勢いが持続している。もともと海外では人気だった製品だが、どうも日本人の繊細な感覚では違和感があったようで、なかなか浸透しなかった。が、5年ほど前だろうか。ようやく意外なシリコンの柔軟さが知られ、さらに価格も安くなったところからシンプルに売れ出した。今、旧機種対応のも含めて好調に売れてるのである。考えてみれば、大事なカメラは隅々まで守りたい。それならカバーだ。出来れば常に持つので手触りのよい方がいい。当たり前の盲点だったのだ。

まさに、ジャパンホビーツールのイージーカバーは盲点を突く装甲で売れる…のだ。

しかし。。本当にそうだよなぁ。ちなみに、記者という人種は鼻っ柱は強いが。根本は臆病者が多いと思う。何故なら、政治なり経営にそんなに高い理想を持つなら、まず自分がやればいい。そういう実行する勇気はないのかもしれないからだ。。
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市川ソフトのシルキーピクスは常に進化し変化するRaw現像ソフトなのだ

 前号でも書いたように、もはや今までの定見に縛られる時代ではないのだろう。
 書いたようにベルボンは雑貨やライトな三脚を出すし。ハクバは育児分野に手を出す。他にも、浅沼商会のエンディング産業への進出もある。特に、浅沼の場合は遺影用の額縁ということでの参入だが。最近は生前葬の需要も高い。その場合、本人が生きていて見るのだから遺影っぽい黒縁のは抵抗がある。そこで、明るい色のものが好まれるのだ。そのあたりに、さらに注力しているのが、額の専門メーカーの安井商店で。保守的な葬儀業界の中にあって、きっちりと専門の問屋を通して浸透させている。

このように、各々の立場で定見を崩して進歩し、生き残りをかけようというのが写真用品メーカーでは目立っている。例えば、市川ソフトが販売のRaw現像ソフトのシルキーピクスである。新バージョンでは、シグマのクワトロに対応するという特定のハードをターゲットとして意識している。ちょっと見慣れない傾向である。さらに、額縁や台紙にプリントを飾った状態のものをシミュレーションできる機能も備えている。これまでのものに縛られずに、渋いところで常に進化させているのだ。ちなみに、市川の担当者と雑談したおりに動画時代の活かし方について、4Kや8K動画からの切り抜き画像での加工などのアイデアを語っていた。

まさに、市川ソフトのシルキーピクスは常に進化させているRaw現像ソフトなのだ。

しかし。。本当に変わってきてるよな。これはカメラ店の写真展もそうで。ペンギンカメラさんの俳句と写真の組み合わせの展示も人気だ。全て変化だ[exclamation]

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KANIやベルボンやハクバはキレキレだろう

 ともかく。。言ってみる、打って出てしまう、今の時代はそれしかないような気がする。
 所属する業界紙のほうのコラム欄にも書いたのだが、今は占星学的に言うところの水瓶座の時代らしい。ちょうど太陽の方角にある星座の質が、その時期を特徴付けるという考え方である。古くはプラトンから、近世では心理学のほうのユングも唱えていた説のようだ。

 で、その水瓶座の性質だが、ズバリ、既存のルールや価値観からの自由だ。これまで、悪い意味で守ることを強いられてきたような暗黙の了解や、ソンタクなど気にすることはない。言ってみる、やってみるのだ。結果などもこだわらなくてもよい。

 例を挙げると。日本人の場合は特に、キレるのは幼児的だとか、頭が悪いとか言われる。もちろん、ところ構わずキレるのは、脳神経のキレてる人なのでまずいのだが、どうしても自分にとって主張すべき時は、堂々とキレてもいいのではないのだろうか。

気をつけるべきは、そのキレるほどの主張は、必ずしも斬新なものにこだわる必要はないということだ。というか、新しいものを主張しなければいけないというのも、固定された考え方だ。これに拘束されるのも本末転倒というわけだろう。

周知のように、日本では幕末の頃に唱えられたのが、尊皇攘夷思想だ。この思想は、当時の幕府主導の佐幕思想が蔓延するなかでは、キレた思想だ。だが、内容的には古色蒼然たるの極みであった。でも、それでいいのだ。一方、それから少し後には、福沢諭吉が天賦人権思想を語った。これは当時からみると全く新しいものだが、これはこれでいいのだろう。

つまり、こだわらずに己の欲するところに従い主張すべきは主張すればいいのだ。

写真用品の分野では、そういう広い意味でのキレキレの志向が見られて頼もしい。商品で言えば、まずは以前に取り上げたKANIのフィルターである。手頃で幅広い層を狙った商品がおおいなかで、角形をメインに置き、アドアマ層に絞っている。日本では逆に、まだまだ角形のような拘ったマーケットが未開拓なのだから面白そうだし、だいたい、このメーカーには信念を感じる。期待したい。

一方、企業そのものの動きとしては、ベルボンやハクバが、ある意味キレている。写真業界ではなく、雑貨や育児用品のほうに志向するのは新しい。本来の自分等のベーシックな部分を忘れないのであれば、何としてでも生き延びてやるという意欲は感じるし、フロンティアスピリッツは素晴らしい。これは先日の雑貨エキスポ(写真)でつくづく感じた。

まさに、KANIフィルターやベルボンとハクバはキレキレの存在、なのだ。

ところで、今回の雑貨エキスポでのお洒落なベルボンのブース作りは広報のマタサンがメインでやったらしい。。ボディビルで身体を鍛えたと思ったら、今度は女性受けするブース作りか。。1人だけモテまくろうという肚だな。ずるいなぁ、マタサン。

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ハクバのスタンド型台紙は日本文化に添ったアイテムだ

 日本の人々は、古くからオトシドコロというものを考えていたようだ。
 何か争いが起きる。これがどうしても曖昧にできないことであれば、もちろん徹底的に争い白黒はっきりつける。だが、世の中の多くは、争うほどでもないレベルのものが多い。さらには、そもそも争っても意味がないというケースもある。

 前者の場合は、単にお互いの個人なり団体の好き嫌いが絡んでるケースだ。この場合は、どうでもいいようなレベルのことでも気にさわり争いを始める。後者の場合は、自然現象なり宗教上なり信念上の論争なりがきっかけで起こる場合だ。これは、そもそも変えようがないことだから争っても意味がない。

こういう場合はどうするか。西洋諸国の場合は、それでも争いシロクロつける方向で行く。法律を持ち出し相応の決着ともする。なんだかんだとゆるがせにしないのだ。だが日本の場合は違う。一定のオトシドコロを持つのだ。

それが、幽霊や妖怪、あるいは前世からの因縁などのような仏教的なものだ。こういう割りきれないものが介在しているから仕方ない。お互いに程よくあきらめ円満に行こうということになる。逆に、この超自然的な事象が最近は信用されずにつかえなくなってきてから、個人間でも過激な争いが起きるようになったのではないだろうか。

ミスが多い秘書でも、前世からの宿縁、ご縁の人間と思えば、ハゲぇ、などと叫ぶ気持ちも出なかったかもしれない。

ところで写真用品である。先日のフォトネクストの会場でハクバブースに行ったところ、ちょっと面白い工夫を見た。立つ台紙、である。確かに、台紙で大事な写真をもらったら飾りたいと思うが。額など探すのも億劫になり、そのままというケースもある。これなら、もらってそのまま立たせられる。しかも手軽な感じだ。うまくオトシドコロを考えた商材なのだ。

まさに、ハクバのスタンド型台紙は日本文化に添ったアイテム、なのだ。

しかし、オトシドコロだよなぁ。。こちらなど酒場では財布とのオトシドコロの日々である。
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