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マンフロットの視野の広さも感じさせたVRサポート機材なのだ

 もうロートルと言われる年齢だが、この年にして気づいたことがある。それは、自分が何気なく決めつけつてたことを疑う、ということの大切さだ。

これまで比較的、思い立ったら興味のあることに手を出す、ということをしてきた。だが、そのうちの結構な割合で三日坊主であった。ひどいときには、朝、本を入手して夕暮れとともに擲つという一人朝令暮改もあった。結局、自身の精神の惰弱さを思い知らされ、やけ酒を呑むの繰り返しで酒だけ強くなった。

マンフロットVR.JPGが、なかには奇跡的に続けてやれてることもある。その違いを子細に観察してみると、本能的に自分に必要だと脳が認識したことは続いているということだ。ということは、今まで継続出来なかった多くの事は、実は必要ではなかったということなのだろう。どちらかと言えば、欲を書いたり世間のガセ情報に踊らされて、やるべき、と考え始めたことだ。もともと堪え性がないので、これは続かないだろう。

いずれにしても、このように改めて、違う角度から視野を広げることで新鮮な感じになる。いろいろ執着していた思考も馬鹿馬鹿しくなるのだ。西郷隆盛ほどの人物だって、幕府を倒すという発想がなく、それを指摘した勝海舟に仰天したのだ。それ以降、彼は倒幕に舵を取る。

赤穂浪士の不破数右衛門は夜毎に刑死した遺体を掘り起こし、斬る練習をしたらしいが理にはかなっている。斬るのなら木刀で型をやるのではなく真剣で人を斬る練習をしたほうが役に立つ。彼は討ち入りの時に大活躍した。一部の浪士のように池に落ちたりしなかったのである。拘らない視点で必要な練習をしたのだ。

ところで写真用品である。ここのところマンフロットの動きは、注目すべきものである。老舗ブランドのロープロを扱いだしたと思うと、全く新分野にもアプローチした。VR撮影のサポート機材である。この撮影市場は、ストリートビューの浸透もあり、プロカメラマンやハイアマの需要も生まれそうだし。360度撮影を楽しむという嗜好そのものも生まれそうだ。それを視野に入れ先鞭をつけるなど流石である。

まさに、マンフロットの視野の広さも実感したVR撮影機材、なのだ。

しかし…確かに視野の広さは重要だよなぁ。ハイボールだってウイスキーのストレート飲みのチェイサーとして炭酸水を呑むという発想もあるだろう。体内では同じになる。よし、やってみよう[決定]




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C-PLUSやベンロを有するコメットは意外に幅広く活躍しているのだ

歴史的事象には、伝承と実状がかけ離れてる事が多い。大概は、大袈裟に語られてる。これは、元になる一定の事実があって、それに庶民の願望が加わり増大していく。

acc_stand_low-y.jpg例えば、荒木又右衛門が活躍した伊賀上野の仇討ちでは、実際に彼が斬ったのは2人半だと資料にはある。半分というのは負傷させて戦闘不能に陥らせたということだろう。まぁ、日本刀で斬れる数など考えたら当然だし、逆に2人以上確実に仕留めたのだから、又右衛門の達人ぶりは、それだけで理解できるのだが、庶民は満足しなかった。この事件の全容が伝聞で伝わるや、江戸で講談にかけられて大ウケした。あまりにもうけるので、講談師は少しずつ数を増やしていき最終的には36人というキリの良い数に落ち着いた。同じように、水戸黄門は漫遊してないし。幕末の新撰組は、イメージにあるようなだんだら模様の羽織は、常には着用してなかった。あんなの目立つし不便だ。

逆に、実は伝わってるイメージより、事実はさらに大きいことがある。単純な例で言えば、豊臣秀頼の体型で、ただの御曹司と思いきや身長197センチ、体重160キロ以上の巨漢であった。今だって、こんな男性は目立つが、当時は平均身長150センチ台だ。対面した156センチ程度の家康は、恐怖を感じて滅ぼしたくもなるだろう。ちなみに、この体格ゆえに140センチ程度の秀吉の子供かどうか当時から疑問視されていた。なお、母親の淀は身長168センチくらい。面食いの秀吉の好みに合う容貌だったろうから、今生きてても女優でいけそうだ。

ところで、写真用品である。コメットと言えば営業写真館やコマーシャル系のスタジオに本格派のスタジオ機材を提供するというイメージだ。だが、9年ほど前からハイアマ向けの普及価格帯のC-PLUSシリーズを発売しており好調だ。おまけに、昨年からはベンロのバッグや三脚も扱いだし幅広い客層に拡販しているのだ。

まさに、C-PLUSやベンロ製品を販売するコメットは予想以上に幅広いメーカーなのだ

しかし、本当に事実はわからないよな。ただ、宮本武蔵の180センチは納得だ。それこそ150センチ台の平均身長の時だ。そのくらいの筋骨粒々の目付きの鋭い男が両腕の刀を振り回してくるのだ。恐怖以外の何者でもない。



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ベルボンのチェアーポッドは無駄を逆手に取ったユニークな商品だ

 無駄というのは、結構必要だったりする。いわば糊代のようなものだ。実は、今やっている複数のことが強固に結びつくポイントになる。また、新たなものを考えつく伸び代になったりする。ノリシロとノビシロという2つの役割を担うのだ。

H.Y.127_7_2_1600.jpgなぜなら、無駄とは無駄であるゆえに、それを克服しようと人は思考を発展させるからだ。長い距離を長い時間かけて動くのは無駄だ。目的地までの距離は動かしようがないから、手段を変えようと、電車や車を創造した。通常手段の非効率さを何とかしようと、電話、電信、さらにはインターネットにつながってきた。これは目に見えてるものだけではない。いわゆる答えの出ない対人関係の悩みなどは時間や精神の浪費だ。だから、何とかしようとカウンセリングも受ける。

その無駄克服のアプローチのひとつとして、無駄な要素を含んでるもの同士を連携させて、お互いの無駄を相殺させるということもある。それぞれの無駄な部分同士を糊代にして、無駄のない物を作るのだ。世界のホンダなどは、技術者の本田と営業マンの藤沢が、それぞれの得意分野を合わせる一方で不得手な部分を相殺させた。結果、世界のホンダとなったのだ。

ところで写真用品である。この連携し無駄を相殺した商品が、ベルボンから発売された。椅子と三脚を一体させたチェアーポッドH.Y.127である。要は三脚と椅子が一体となったユニークな商品だ。じっとシャッターチャンスを待っているときに、ゆっくり座れる。そういう場合は椅子と三脚を別々に持っていくという無駄な手間を排除。さらに畳むと脚付き一脚にもなるから無駄がない。

まさに、ベルボンのチェアーポッドは無駄を逆手にとったユニークな商品なのだ

しかし、本当にそうだよなぁ。最近、安酒のメッカの新宿の店で食べ飲み放題コースができた。素晴らしい。確かに安酒を死ぬほど呑む卑しい輩などいないから、儲かるからなぁ。流石だ[exclamation] だが、私を甘く見てもらっては困る。。




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ジッツオは貴族の匂いが冴えるブランドなのだ

 やはり、絶対に誤魔化しが利かないなぁ、と思うことがある。ズバリ、育ちの良さである。残念なことに、こればかりは仕方ない。

gitzotraveler-1.png後天的に身につけたものは関係ない。勉強して得られた教養といった代物は、会ってこそ迫力という効果を発揮するが、その時だけた。こと生まれもった育ちから出るものは、冷静に見ると一目瞭然である。ちなみに自分も認めたくないが、品の悪さが良く分かる。

歴史上の人物の肖像画なりを見ても、すぐ分かる。豊臣秀吉など、あれだけのことをしたのだが、やはりどう贔屓目に見ても貧相だ。負けた浅井や朝倉のほうがさすがに品の良い顔だ。明治の頃では、ほとんど活躍しなかったが、三条実時の品の良さは目立っている。いくら俺が天下を担ったと言っても、伊藤博文には真似できない。この品の良さからくる魅力は、よく知られており、江戸時代には成り上がり大名たちの、でっち上げの系図作りが横行した。だいたい、初代の家康からして新田義貞の系統を名乗っているが、実際は弁の立つ流浪していた坊主だろう。秀吉だって、貴族の血筋を言い出している。

そういう意味では、やはり写真用品ではジッツオブランドは不滅だ。品質もそうだが、やはり品格がにおいたっている。伝統は侮れないのだ。

まさに、ジッツオは貴族の匂いを感じるブランドなのだ

しかし本当にそうだよなぁ。安酒ばかり呑んで酔えるのは庶民の証拠だなぁ。まあ、仕方ないが。



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マルミ光機のSOLIDは吉田松陰のごとく硬い信念を持つフィルターなのだ

新年あけまして、おめでとうございます。などと、書いてみたが。めでたいといっても、何が目出たいのかと言われると辛いものがありそうだ。まぁ、今年もいつまで続くかわからないですが、この駄文をよろしければ、よろしくお願いいたします。

ところで、新年早々なんだが。今年をどう生き延びるかだ。いや、これは普遍のテーマであるが、今後のめちゃくちゃな時代をどう過ごすかだ。

だいたい、今は好景気と言われているが、まったく実感がない。一部の大企業だけだろう、と言われているが、その大企業にいる友人に聞いても、そんな実感はないという答えであった。なので、国家公務員になった友人に聞いても同様であった。民間が潤わないと、こちらに反映されない、と上から目線だか、へりくだっているのだが、わからない回答をもらった。

そもそも、時代はわからない。ビットコインがこれだけ影響を与えるようになるとは考えられなかったし、何が何だかわからない。自己啓発にはまっている知人は、今こそ成功のイメージを常に頭に描く、引き寄せだかなんだかの法則を使って乗り切ろうと言っていたが、はたしてどうなのか。一説では、脳は成功イメージングをしてしまうと、それで満足して現実的な行動に移ろうとしなくなるともいう。だいたい、すべてが信じられないのだ。

こういうときはどうしたらいいのだろうか。と思いつつ、初詣に松陰神社に行って、ちょっとした刺激があった。この人物の言うところの、狂の精神しかないのではないかと思ったのだ。

PIC000004.jpgこの狂の精神とは、二つの側面がある。ひとつは、自分自身の方向性に向かって、ともかく貫いていくということ。さらに、もう一つは、その反面、自分自身の利益や成否などは二の次にしていくということだ。これは、吉田松陰の言葉を借りれば「大事を断ぜんと欲せば、先づ成敗を忘れよ」ということだ。失敗を恐れず、利益も考えずだろう。まぁ、これら二つの側面を行うのは、簡単なようでいて実は難しい。なので、初めに返るが、狂の精神が必要ということだ。

世の中、何があるかわかったものではない。ともかく、狂の精神が必要なのだろう。まぁ、これを徹底的に貫けたのは吉田松陰くらいだろう。今年の大河の主人公である西郷隆盛が常に言っていた、一番始末の悪い人、ということになる。ここまでは無理だが、こちらのような凡人もヨシダショウインのヨシくらいの境地は見習うような年にしたいものだ。などと、元旦にちょっと考えた。もっとも、そう考えながら、安酒を吞んで寝てしまったのだから、これこそ始末の悪い人間になったのかもしれないが・・。

ところで、写真用品である。年明けに第一弾で取り上げたいのが、マルミ光機のSOLIDである。このフィルターはともかく硬度は凄まじい。多くのカメラファンがcp+で見ていると思うが、ともかく硬い保護フィルターなのだ。だいたい、保護フィルターは硬いにこしたことないのだから、ある意味、このフィルターこそ王道を行っているのだ。まさに、フィルターの専業メーカーらしく徹底して本分を貫いている。そこに妥協もない。

まさに、マルミ光機のSOLIDは吉田松陰のように己を貫くフィルターなのだ

しかし・・本当にそうだよなぁ。。ともかく、貫くことだ。本文中にも書いたが、安酒なら安酒でいい。ともかく、今年も貫いた飲み方をしたいと思う。いや、もはや今年は新宿のやまとクラスの店しか行かないぞ。。
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角形KANIフィルターは光も影も呑み込んでマルごと勝負するのだ

自己啓発本というのは、つくづく厄介な代物だと思う。もちろん、役にたったという人はそれならそれで良い。だが、多くの人が本の手法を真似て、うまくいかなかったりする。これは、なぜだろうか。

713xT8VJPCL._SX425_.jpg実は、自己啓発本に浸る人というのは、自分を過小評価するタイプが多い。自信がないから、自分を捨てて、その本の通りにすれば幸せになる。うまくいく、と思いがちだ。だが、である。もともと、作者以外の人間にピッタリくる心理的プロセスなんて無いはずだ。おおまかに通用するという部分があるだけだろう。そう割り切れればいいが、多くの過小評価型の真面目な人たちは、その通りに行かないと落ち込み、自分はダメな奴という思いを強くしてしまうのだ。自分が、その世界に入れないから絶望するパターンとなる。かくて、しばらくしたら、また次の本と手を出す。

これは、パワハラに会う真面目な会社員なんかも同じパターンだ。ワンマン経営者は往々にして、自分の世界観を持っているから、社員らにそれを共有することを求める。そうなると、それに合わせられない真面目で自己評価が低いタイプは、頑張ろうとする。だが、やはり他人の思考パターンだ。ピッタリ合わせるのは不可能だ。ある程度、良い面だけというのであればいいが、そうはいかない。それが世界のすべてかのように、共有できないのは自分の能力不足と考えるのだ。結果、思い悩み、ワンマンの言いなりになり、ストレスをため込む。もちろん、これは家庭内のモラハラもそうだ。そのパートナーの言うことが絶対だと思い込み、それに従えないと自分はダメだと思い、鬱になったりする。

世の中、このように悪意のあるなしにかかわらずに、自分の世界に入り込ませようという人や本であふれている。では、どうしたら、こういう罠にはまらないようにすることができるか。要は、自分は、そういうものには乗らないと早々に内心で宣言してしまうのだ。では、何をよりどころするのかというと、欠点も含めたすべての自分でいいのだ。

よく長所を伸ばせというが、長所には必ず欠点もついてくる。光と影があってこそ、一人の人間が成り立つのだ。その掛け値なしの自分で勝負するということで行くことだ。欠点やできないことも、きっちりと認めたうえで己をよりどころに戦う。一種の開き直りだ。

その、見えない取り込みの流れに乗らない、という姿勢を保つことがいいのではないか、とつくづく思っている。

ところで、写真用品である。常に欠点をも内包しながらも、自分は自分とマイペースで展開しているのが、角形に特化したフィルターを発売するKANIだろう。角形というニッチなところのみを攻めるし、またこの社の販売ルートは、今のところはネットのみだ。自社はこういうものだ、どうか、と開き直って訴えかけるのである。今年、多くの躍進した新興メーカーを見てきたが、結果、この社も大きく躍進した。

まさに、KANIフィルターは影も光も包み込んでマルごと勝負するのだ

しかし・・本当にそうだよなぁ。外からの世界観は乗るのも自由だが、乗らない自由もあるはずなのだ。自分を保ち、ひたすら年末年始は安酒で飲み明かす。これも、自由だ
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SILKYPIX ユーザーズガイドはユーザーへの優しい目線で溢れているのだ

 平和にしてれば、いいというものではない。時には乱を起こすことも必要なのだ。もちろん、こちらから一方的に相手を攻撃するのは最悪だ。だが、来るものには乱を起こした方がいい。

received_1407532349355074.jpeg日露戦争が、いい例だろう。もともとロシアは自国の強力な軍隊に絶対的な自信を持っていた。それは客観的に視ても事実で、東に向けて進軍した際に当時の清も朝鮮もあっさりと進軍を許した。これで、ますます調子に乗ったロシア。自分は何をやってもいいと、理性の抑制が外れたのだろう。極東の日本にまで無理難題を押し付けてきた。この行為には、さすがに親戚のドイツ皇帝が忠告したが、大丈夫だ、と耳を貸さなかった。だが、ここで予想外のことが起こった。その日本が反撃したのである。窮鼠‥猫を噛む、というやつだが、これが噛むどころではなかった。互角以上に持ち込み、形の上では敗北させられたのだ。

以後、ロシアの認識は変化した。必ずしも平和の徹底というものが良いということではないと思う。

まぁ、これは国家間というスケールの問題だが、身近な例もある。今年、話題になった埼玉県選出の女性国会議員の事件だ。あれほど教養もあり、支持者には腰の低かった人物が、パワハラに歯止めが利かなくなった。多分、最初は感情に任せて一言くらいを言ってしまったのだろう。すると、意外にもあっさりと通った。そのうち、なんでもやっていいと誤解し暴走してきた。まぁ、こちらも意外に秘書がきっちりと、証拠の保全ということをしておりバッヂを失う羽目になった。彼女も認識が変わったことだろう。もっとも、元の性質は変わらないが。

そもそも、こちらが平和的態度で臨めば相手も紳士的になるというのは、余程の人間的レベル同士の場合だろう。幕末の際に、西郷隆盛は降伏した庄内藩に礼儀を持って寛大な態度を示したが。これはお互いに武士道を共有できたし、また西郷だったからだ。大概の場合は、図に乗ってくる。もっとも、自分の利害の外のことには、人は結構、紳士的にはなる。そこだけ見れば性善説か‥。

いずれにしても、時として流されるのでなく、乱を起こすことも必要というわけだ。そうでないと、それこそ事態は正義の方向に進まない。

ところで、写真用品に関連して、この程、非常に有益な本が出た。カメラマンの横山崇氏が書いた、SILKYPIXのユーザー用ガイドブックである。ちなみに、同氏は市川ソフトの管理職という安定したポジションを蹴るという乱を起こしてまで、カメラマンとして独立。そんな激しさがあるだけに、逆に言えば、純粋なソフトの入門者のユーザーに注ぐ目線は優しい。この本は、そんな目線が全面に溢れたノウハウ本だ。強い人は優しさも持つということか。

まさに、SILKYPIX Developer Studio Pro8/8 ユーザーズガイドはユーザーへの優しい目線で溢れているのだ。

しかし、本当にそうだよなぁ。法律だって、一面で言えば抵抗する権利への訴求から生まれてきた。性善説にのみ頼るなら法律はいらない。そういう強さで風潮を突破した上で、優しさを注ぐべきだろうなぁ。。


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新生クランプラーはチェンジに成功したのだ

 人は変われるものだろうか。結論から言うと、人は常に変わっている。身体を構成している物質は常に変化しているからだ。一定のサイクルで中味的には全くの別人になるのだ。

RS5394_LD6000-010_Front.pngとはいえ、人は変わるものではない。物質がどう変化しようとA君はA君だし、痛風がTSUFUになろうが。痛いものは痛いのだ。それは脳の恒常機能というやつで。行動や反応という極めて自分でコントロールできそうな部分まで保とうとする。

逆に言えば、この本来はコントロールできる部分を意識すれば、人は変われるのではないだろうか。と言っても漠然としている。具体的に言えば、敢えて今までやって来た習慣を全て止めて、逆の視点で考えて行動してみることである。よく勘違いしてるのだが、自分にとって不利益と思われる部分だけ変えようとする場合だ。これでは意味がないだろう。そもそも、今までと同じで失敗したのだから、同じことをしていても仕方ないだろう。逆のことをして、取捨選択していく。これをしていくしかない。

ところで、写真用品である。クランプラ-のバッグが国内市場で復活した。但し、名前が同じでも中味は全くの別物だ。というのも、これまでのオーストラリアの会社ではなく、ドイツのロゴを買った企業が展開しているからだ。よりタウンユースさがアップしたし価格も手頃になった。もちろん、前のオーストラリアのクランプラーハも好きだったのだが、これもいい。

まさに、新生クランプラーはチェンジに成功した、のだ。

本当にチェンジだよなぁ。。こちらもTSUFUが怖いので、思いきってSHOUCHU中心で行くか。。まぁ、今までとあまり変わらないか…
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KPIが扱うドイツの交換レンズは本物の迫力が伝わるのだ

 富岡八幡宮の宮司斬殺事件には、驚かされた。事件の異常性や行ったことのある著名な神社ということもあるが。日本刀で斬ったというのは凄まじい。

Trioplan100_Content_1920-1280_Ansichten_800x800-thumb-300x199-3216.jpgしかも急所を斬っている。そもそも日本刀で人を斬るというのは、素人には困難を伴う。あの三島由紀夫の蜂起の際は、介錯をした弟子の青年が何度も失敗。三島氏自身が苦痛に顔を歪めながら、落ち着いてやれ、と励ましている。人の身体は巻き藁などではない。筋肉もあれば骨もある。きっちりと刃筋を見極めて斬れるようになるのは一定の期間の修練が必要だ。幕末に血生臭い事件を起こしまくった新撰組は、幹部らが難しさをわかっていた。なので入会試験を実施し、一応の剣術が使える者を採用。ただし、道場試合ならともかく。斬るのとは違うので、過激な訓練を行った。刃引きの刀で斬り合わせ、夜中に寝てる部屋に剣客の沖田総司が斬り込んできた。

これくらいやるのだ。今回の犯人の場合も、独自の憎しみにとらわれてのことだろうが。一定の期間をそのために修行したのであれば、それこそ凄まじい。犯人の男性の異常性がそれこそわかるだろう。

ちなみに、全然目立たないが新撰組の局長の近藤勇というのは、当時の中では比類なき人斬りであったようだ。同じ斬りあいの現場にいた生き残りの平隊士がした証言が残っている。近藤勇は切り落としといって、相手の刃筋を見ながら避けて、刃を交えずに間合いを詰めて相手を斬って行ったようだ。そのため、池田屋事変の後でも、彼の刀は刃こぼれがなかった。自分では、さすが虎徹と妙なところで謙虚に刀を誉めているが、腕前だろう。新撰組は沖田総司が最も強く、まともに立ち合えば師匠の近藤勇でも敵わなかったろうと言われるが。それは道場での試合のことだろう。

いずれにしても、近藤勇は少なくとも斬りあいでは本物の強さを発揮したということだ。

ところで写真用品である。ケンコープロフェショナルイメージングが、12月15日から受注を開始するのがドイツのメイヤーオプティックゴルリッツ社の交換レンズである。シャボン玉ボケやぐるぐるボケ効果を実に美しく表現できる逸品という名に相応しいレンズだ。日本国内では個人輸入で知る人ぞ知るだった商品を今後は広くファンの手に渡り名が浸透しそうだ。

まさに、KPIが取り扱うドイツのメイヤーオプティックレンズは本物の迫力なのだ。

しかし。。本当にそうだよなぁ。近藤勇のような本格派は善きにし悪しきにしろ名を残すのだ。こちらのような偽物は、せめて本物のビールを呑もう。発泡酒ではなく。
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スマホプリンターのプリントスはシンプルゆえの気高さがあるのだ

 最近の高校生は妙にカッコイイ、と思う。ファッションセンスがいいのか、制服をお洒落に着こなしているのである。さらに言えば、制服自体もカッコイイ。もっと言えば、そもそも制服が無い高校が増えた。自由にお洒落を楽しめていうことだろう。

received_1274828235954765.jpegもっとも、たまにそういった高校生を見かけると。何か奇抜でもなく、いわゆる空気を読みながら着飾っているのである。大変なのだろうなぁと同情する。これは人とリアルに話さなくて済むSNSが発達するわけだ。

仮に自分が、今の制服自由の高校に入ったらどうするか。多分。。詰襟の学生服を着ると思う。もちろん、最初は違和感を持たれるだろうが、見慣れたら、そういうキャラだと認識される。以降、いちいち服を考えなくていい。いわゆるシンプルさを選択することで自由を手にいれるのである。それでは洒落ていないって。。そんなことはない。

詰襟の起源は軍服であり、フランス陸軍の下士官の制服だ。いわゆるフランスから来たファッションなのだ。そもそも、日本で最初に制服姿の写真を披露したのは、最後の将軍の徳川慶喜だ。由緒正しくもある。堂々と着ればいい。シンプルなデザインならではの気高さがある。

ところで写真用品である。ケンコートキナーが販売に関わるスマホプリンターのプリントスがいよいよ発売される。この商品はスマホの画面を転写するだけの構造で。極めてシンプルである。だが、そのシンプルさと手軽さ。何よりもモノを写してプリントするという原点に還った確かさも感じる。そのシンプルさが妙にお洒落なのだ。

まさに、シンプルなスマホプリンターのプリントスは確かなお洒落さを感じる用品なのだ。

しかし。。詰襟はいいよなぁ。もっとも普通の公立高校の詰襟は少し庶民的で、私立の名門高校あたりの詰襟はちょっと違う。これは下士官服と将校服の違いによるようだ。。現代の階級は親の資本力かよ。。


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